2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

私的蕎麦の道(3)・仙台「寿屋寿庵」

沢山蕎麦屋がある中何処の蕎麦を食べるかはけっこう難しい作業なのだ。参考にしたのは6年前の蕎麦紀行時山形の蕎麦屋で手に入れた「山形/宮城・蕎麦の旅」(広済堂仙台情報センター刊)という一冊である。それまで私は、勝手に秋田 山形 新潟と奥羽山脈西側…

車で奥のほそ道・多賀城址(後)

写真は多賀城址南門から撮った。中央最奥小高い丘の上が先刻佇んだ政庁跡。ちなみに中央に写っている車が愛車。手前右の小堂の中に壺の碑がある。 真北に政庁、真南に南門、間に緩やかに登る階段と斜面の大道が一直線に繋いでいる。北の脅威に供えて律令体制…

車で奥のほそ道・多賀城址(前)

古代陸奥を旅した人たちも名称松島あたりを限界としたのだろう、仙台を越したあたりに歌枕後は覆い。45号線を東へ。右へ曲がれば、野田の玉川、沖の石、末の松山、壺の碑などがあるが、芭蕉の時に既に歌枕の風情を失ってしまっているものが多いと言うこと…

私的蕎麦の道(3)・福島「喜多その」

福島市では、駅東口のイトーヨーカ堂の駐車場に車を入れ、地図を便りに目当ての蕎麦屋を目指した。情報にあるように駅近くで、老舗で、と言う感じでその蕎麦屋が見つかった。十割手打ちそば「喜多屋」と大きな暖簾が見えた。店内は席が仕切られていて落ち着…

車で奥のほそ道・陸奥国分寺

名取り側を越えて仙台に入る。《奥のほそ道》には宮城野と書かれている。茫漠たる原野だったのかもしれないが今は大都市仙台である。昔を語るものは車からでは見ることもできない。真っ直ぐ拠点に決めた榴岡公園に向かう。講演付設の公営駐車場があり、停め…

この時期恒例、厚沢部に花を訪ねた。スキー場横の沢、太鼓山、土橋のレクの森。 直径7メートルほどのエゾエンゴサクの群生が見事だった。特にそれと分かる前、青白く林間の地に燃えるように見えたときは幻想的だった。曇っていて薄暗かったからかもしれない…

退職した年の夏に作ったからウッドデッキはもう7年になろうとしている。その時使った材木はこの家を建てたときに余った2×4材だから25〜6年前の材木と言うことになる。その7年間、毎年春には防腐、防水の外装剤を塗布してきたし、冬期間は二重にシート…

車で奥のほそ道・武隈

早朝白石城を見て、武隈(現、岩沼市の旧名)に入った。行動開始が早かったのでまだ9時前だった。芭蕉が立ち寄っている竹駒神社は境内清めの時間だった。若い神官が箒で掃き清めながら「おはようございます」と挨拶してくれる。信心から早朝に来たわけでは…

[[たかされコラム]車で奥のほそ道・医王寺

福島市街をはさんで北西にある医王寺は、義経追慕の情から訪れている。平家打倒に奥州から義経が立ったとき、この地の佐藤庄司は二人の息子継信、忠信を義経に従わせた。継信は屋島の合戦で、忠信は頼朝に追われ奥州へ落ちる時共に義経の身代わりになるよう…

車で奥のほそ道・信夫文知摺

福島市の北東郊外に文知摺石で有名な文ち摺観音がある。昔、この石の表面の凹凸に布を覆い摺るり出すと、もじり乱れたような模様が染め上がり、それがこのあたりの名産になっていたという。また、都からこの地に役人として来た源融と地元の娘虎女が恋仲にな…

車で奥のほそ道・乙字ケ滝

須賀川の近くにある乙字ケ滝は「奥のほそ道」にその記述はないが、訪ねている。名前に牽かれたのとどう考えても深山幽谷とはほど遠い地形にある滝なので訪ねた。 細い県道を行くと場違いな感じで朱塗りの大きな橋が架かっている。阿武隈川を渡る。川面に濁り…

車で奥のほそ道・白河の関

五世紀のころにはあった関所跡で、蝦夷の南下を防ぐためのものだった。しかし蝦夷討伐後はその役目を終えて何時廃止されたかはわかっていない。芭蕉がここを訪れたころ既に関所は無かったが「みちのく」へ旅した人たちにはやはり別な大きな意味を持った関所…

22世帯で作っている「ききょうの里自治会」の総会があった。町会として函館市から補助金を貰っているのでちゃんと総会を開かなければならない。発足当初は自治会長さんの家を会場にしていたが、10年くらい前から湯の川温泉の一室を借り、懇親を兼ねて開…

私的蕎麦の道(3)芦野・遊行庵

偶然車を停めたところが遊行柳観光のためのドライブインで、そこには芦野市公営の産直販売コーナーに併わせて「遊行庵」という手打ち蕎麦屋があった。遊行柳を見た後蕎麦を食べることにした。昨日の日光市から、今日午前中の那須高原でも林立する「手打ち蕎…

昨日までの寒さが嘘のように暖かな日射しが全てに降り注いでいる。これから林道歩きに出かけるがどんな花が待ってくれているか楽しみだ。我が家の小さな庭も日当たりだけは恵まれているのでとても暖かそうだ。温みが土の中まで届いて何かを目覚めさせ、他の…

車で奥のほそ道・芦野 遊行柳

那須湯本から再び東北道をくぐって芦野へ。ここも歌枕の地である。西行が「道のべに清水流るる柳陰しばしとてこそ立ちどまりけれ」と詠んだ「遊行柳」がある。俳人だったこの地の領主が「この柳みせばやな」と芭蕉に言っていたので訪れている。 のどかな春耕…

車で奥のほそ道・殺生石

那須湯本温泉へ谷筋を詰めていった最奥部に殺生石がある。 《殺生石は温泉の出る山陰にあり、石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す》と記しているが句は残していない。火山性の噴気ガスが作り出した「賽の川原」である。注…

車で奥のほそ道・黒羽 雲厳寺

日光の後、芭蕉は栃木県を東北高速道をはさむようにジグザグに歩く。日光、黒羽、那須湯本、芦野から白河の関である。 黒羽の雲厳寺の奥には江戸で参禅の師として親交ののあった仏頂和尚の山居の跡があり訪ねている。《山は奥あるけしきにて、谷道遙かに松杉…

私的蕎麦の道(3)・中禅寺湖「新月」

第二イロハ坂を登って中禅寺湖湖畔に着いた。シーズン外れかほとんど観光客は居ない。何処でも車は停められそうだったが、公営の駐車場があったのでそこに入れた。その駐車場はそのまま展望台になっていて景色を楽しんだ後、旅情報誌で見つけておいた手打ち…

車で奥のほそ道・日光

道の駅を出て、再び日光街道に戻り、芭蕉も見たであろう(何も記していない)下野国分寺跡に寄って二港を目指した。 車で通ることに罪悪感を覚えるほど見事な杉並木の中をしばらく走らせて貰う。人の歩くところは所々に有るだけでほとんど車専用道路になって…

車で奥のほそ道・栗橋

長女のアパートはさいたま市にあり、すぐ近くを新大宮バイパスが通っている。東北高速から大きな道路を通るだけで行けることも今回車を使おうとした大きな理由であり、この旅もそれがきっかけとなった。 芭蕉は、深川から舟で千住まで登り、そこから草加、春…

車で奥のほそ道・深川

芭蕉の奥の細道は深川から出発している。深川に住んでいたから当たり前と言えば当たり前だが、今回その住んでいたあたりを歩いてみて気が付いた。芭蕉を陸奥へ誘ったのは芭蕉庵のすぐ前を絶え無く流れ来る隅田川だったのではないだろうか。 川口で川の水は海…

私的蕎麦の道(3)・東京の蕎麦屋

目黒「いしおか」 下の娘が今回引っ越したアパートの近くを歩いていたら、横須賀線を走る電車の音を浴びて小綺麗なそば屋があった。雰囲気は美味しそうである。いかにも修行した蕎麦打ち職人が念願敵って開店させたという雰囲気である。こういう店にはずれは…

「たかが蕎麦されど蕎麦」と、自分が美味しいと思える蕎麦に出会いたくてその一回目は青森から秋田、山形、福島、新潟、長野、岐阜、富山、石川を旅した。その時はそれほど意識していなかったがどういうわけか美味しい蕎麦で有名なところは芭蕉の「奥の細道…

私的蕎麦の道・素晴らしい道の駅

少し迷って見つけた道の駅は産直の売り場にトイレを付けただけの粗末さだった。

私的蕎麦の道(3)・車で寝る(後)

トイレに行きたくなって目が覚めた。しっかり寝た刊があったので時計を見たら、11時半だった。がっかりする。まかなって外に出る寒い本当に寒い。ちゃんと目覚めてしまった。朝方はもっと冷え込むだろうと寝袋を整え好きを見せないように目をつぶった。無…

日光を見終わって、コンビニで水とウーロン茶と夕飯、朝飯を調達し、今市のあたりから鬼怒川をひたすら北上した。温泉に入りたいからである。道の駅「湯西川」は五十里湖というダム湖を見下ろす所にあった。全くの山の中でもう少し走ると湯西川という温泉が…

私的蕎麦の道(3)・道の駅〈きたかわべ〉

前日は昼近くの埼玉出発だったし、久しぶりの車泊初日だったので早めに道の駅を探した。今日の日光への便利を考え、午後4時には渡良瀬川遊水池の河畔に立つ道の駅きたかわべ二車を泊めた。 寒い。寝袋の中は快適だがトイレに起きるのが非常に億劫だった。紅…