2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

雪がうっすらと降りその後、下弦の月が出て去年と今年を分けた。 越の雪去年に一重の衣を着せ 未曉 去年の雪今年下弦の月の色 未曉

帰省する娘二人を空港へ迎えに行った。正月が迎える人と迎えられる人の二色に分けているようだ。 待つ人も待たれる人も年の暮れ 未曉 冬帽子出口の祖母へ飛び込んで 未曉

低気圧が一日中荒れ狂っていた。そんな中、尊敬する校長の仏前におまいりするため七飯まで往復した。奥さんが、残されたたくさんの蔵書をどうするか悩んでいた。帰り、新道をそれなりのスピードで走ったらまるで洗車機の中を走る感じだった。 迸る時間よ人よ…

正月支度をした。買い物をし、仏壇の掃除、注連飾りを準備し恒例舞玉を作った。 舞玉に善きもの飾り部屋整ふ 未曉 注連縄の淑気や菅のうすみどり 未曉

蓬揃山・被写体(2)

昨夜はすぐプリントアウトしたいと思いながら雑事でできず、今日朝からコンピューターの前に座った。今まで使っていた写真編集ソフトに取り込むことができるかどうかも購入の際の要件だったので心配しながらつないだ。何の問題もなくすんなり昨日の歩きの写…

蓬揃山・被写体

今日は昨日購入したばかりのカメラデビューである。光学15倍、マクロ1cmのカメラで広がる世界が楽しみである。カメラテストというより、カメラを使いこなすテストである。いつものようにザックの肩紐に括り付けられないので首から提げるしかない。ぶら…

年のせいばかりではない。今年は灯油の節約が頭から離れずそのためどうしても厚着になってしまう。寒いという思い込みがそうさせる。風呂に入ろうと服を脱ぐときに、去年と比べ厚着になっていることに気がつく。 着膨れや脱衣篭から袖が垂れ 未曉 血圧が心配…

汐首の牧場歩きから 海峡を背にした岬の牧野で15,6頭の馬が、枯色の地面から探すように草を食んでいる。少し高い所に離れて1頭、群れを見守るように白馬が立っていた。 白馬佇つ岬に雪の雲解け 未曉 今日クリスマスイヴ。アップル温泉にはクリスマスと…

汐首の牧場歩きから 冬枯れの景色の中で唯一の緑が笹である。Kuさんがその笹を指して「都笹」と教えてくれた。熊笹などと比べて少し小さく、葉の周囲に白い斑が入っている。 白い粒を見る前にその都笹や柏の葉に当たる音で霰が降ってきたことを知らされた…

汐首無線中継所周辺の牧野を歩いて…。 眼下の津軽海峡、対岸の下北が曇っていて見えないためかいつもより大きく見える。そこをのたうつように潮が流れている。その影響がない岸の近くには海鼠採りだろうか磯舟が幾艘か浮いている。 海峡を大河のごとく冬の潮…

汐首無線中継所(2)

アンテナのある頂上部から枯れ草となった牧草斜面を鞍部めがけて下った。所々、霜で盛り上がっていた細かな礫を踏む。空足を踏んだようになる。11時半。もう一つの丘状のピークを登ってしまってから昼にしようということになった。つまりそのくらいの登りで…

汐首無線中継所

登ってびっくりした。登るというほどの山ではなかったがこれほど広い牧野が広がっているとは思わなかった。津軽海峡を魚場とする純漁の集落だと思い、その裏山に登るくらいの気持ちで行ったからかもしれない。 小安のバイパスから作業車道路を少し登った所に…

午後椴法華へ行ってきた。義父の話では助宗鱈の漁はまったくだめだが、イカがこの時期まだ獲れているという。暮れが早い沖に煌々と集魚灯をともした船影が5,6艘見える。 冬凪に照り返されて集魚灯 未曉 集魚灯括りし冬の海と空 未曉

雪は季題の代表「雪・月・花」に含まれるほど、日本人の冬の情感を委ねられてきた。雪を見ただけで俳句ができそうになる。これが曲者で思うほど易しくない。あまりに普遍的で作っても作っても類型の域を脱し得ないのである。それでも懲りずに五七五にしてし…

断続的に雪がちらつく一日、年賀状への一言書き、短冊掛け作り、そして例会に向けた句作…。 季題から発想して作るとどうしても説明的、観念的になる。できるだけ体験に即して、季題の本意を大切にと思うのだが… 私は、修学旅行を引率したときに青森で買った…

亀川の川岸に生の営みを終えたホッチャレが投げ出されたように横たわっている。眼だけが食われている。虚ろな眼窩だからこそ何かを見ているように感じてしまう。カラスや鴎はそこが柔らかいから食うという。私には、見られるのが怖いからまずそこを食べてし…

普段蒜沢で自然保護のボランティア活動をしているNPOが催してくれた木古内亀川の自然観察会に参加させてもらった。メインテーマは、海から川を遡上した「ホッチャレ」が山に海の栄養分を還元する実態の観察である。初めての参加だが、肩の凝らない雰囲気…

台場山古戦場跡を巡る林道歩き 裸木の斜面の間に渡島平野が望まれる。 冬の底ハウスの光る平野あり 未曉 雪が解けない林道は動物たちの足跡が賑やかでいろんな想像をさせてくれる。 雪山に狐兎の足跡交わりぬ 未曉

山眠(っていない)

生々しい熊の足跡だけではない。山の動物たちも歩きやすいのか林道や刈払われた道を利用しているようだ。まるで目的に向かって作った自分たちの道のように真っ直ぐ歩いている。所々立ち止まったような痕はあるが、曲がったり余所見をしたりという気配がない…

山眠(っていない)

俳句では冬の山の様を「山眠る}と表現する。ちなみに春「山笑う」夏「山滴る」秋「山粧う」と言い表し、古人の言葉に対する感性に感心するばかりである。しかしそれだけに俳句にするときこちらの感性も問われる気がして難しい。おだやかになだらかなた山容…

魚を煮付けて残ると翌朝の煮凝りが楽しみだ。煮凝りのために作ったのではないからしょっぱいが、私はすきである。比較していいかどうかわからないが、甘いゼリーに比べたら断然美味しい。 煮凝りや馬鹿塗り椀の朱を透かし 未曉 煮凝りや小骨を孕みさからひぬ…

午後の椴法華港は閑散としている。冬、年末は例年助宗鱈のシーズンで浜は賑わなければならないはずなのに、不良だという。海水温が高いのだそうだ。漁師は海が冷えるのを待っている。 冬凪や乏しき漁に海猫低く 未曉 海猫の声ばかりなりもやい綱 未曉

今日は一日年賀状を印刷した。 一言の余白を重ね賀状刷る 未曉 山を画き一句を添へて賀状でき 未曉

今日、12月8日は日本が第二次世界大戦に突入した日だ。後悔の意味で取り上げられ続けることを願いたい。 開戦を祝ふた歴史雪積もる 未曉 雪はただ痕を埋めんと溶け残り 未曉

朝、生ごみを出そうと外に出たら、小学生が歩いてきた。年寄りばかりのこの通りが近頃通学路になった。きっとどこか近道に繋がっているに違いない。在勤中は耳が痛いほどに感じた子どもの声だが、このごろはなんとなく心地よく響く。ましてや挨拶などされる…

腹の中の枝豆

以前から私の胆嚢に二つの胆石があることはわかっていた。医者は、痛むとか特別悪さをしているわけではないので、手術で取り除くとかしなくてもいいでしょう。と言っている。医者がそういうので私もそうしている。 1年に一回の胃カメラ検査のついでに、「エ…

朝、義母を迎えに函館駅まで車を走らせた。車は走らず、歩くより遅くなってしまった。大渋滞である。函館駅まで1時間半もかかってしまった。桔梗小学校の所ではちょうど登校時間とぶつかり、動けない車の中から久しぶりに雪の朝の登校風景を見ていた。 雪の…

時期とは言え、喪中欠礼の葉書が届く。知り合いが逝く人を身近におく年齢になってきたということだろう。知り合い本人が亡くなってのものもある。年賀葉書の裏返しで寂しい。 喪の葉書薄い紫式部の実 未曉 玄関に降り入る雪や喪の葉書 未曉

12月になっていた。あわてて家の中のカレンダーを12月にした。 壁と化し画鋲に軽き古暦 未曉 近所の家で庭木の手入れを頼んだようだ。塀の中からはさみの音が聞こえる。 剪定の音響いたり山眠る 未曉

先日歩いた庄司山北側林道は冬を迎えていた。山と里との境目にある林道に、動植物は季節の境目を営んでいる痕跡を残していた。 けもの道折り散らされて蔓もどき 未曉 足跡を一筋吐いて山眠る 未曉