2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

冬隣

明日から11月。私の暦では11月は冬だから冬隣は今日までになる。 夏隣秋隣という季語は無いが冬をはさんで春隣、冬隣はある。冬に対する日本人の構える心が窺える。私自身も「この心構え」を要するようになってきた。もちろん体力的、精神的共にであり、…

町民文化祭

七飯町民ではないし自分の俳句を見せるというのは気に染まないけれど、属している俳句サークルが七飯町の文化活動の一端なのでおつきあいで参加することになる。その文化祭が29,30日行われた。私は例年どおり、眠っていた感謝状を捨て少しの手間をかけ…

薄日

保育園の前を通った。お母さんが預けた子どもに手を振って出勤していく。今日は土曜日である。 出勤のママに手を振る園冬日 未曉

術後視力

5M離れた壁のランドル氏環の切れ目に右、下…と応えていく。しまいには「やま勘」などと前置きしながら「う〜ん左!」と叫ぶ。若い検査技師は微笑みながら「山勘ですね」と言って当たっているのかどうかも言わない。山勘が通用しないのは若さのせいか医学だ…

「鳥帰る」というのは春の季語だから鵯が南へ帰る今は使えない。 春になって豊かな蝦夷の緑に餌や涼を求めてわたってきた鳥たちが今日も海峡を南へ向かって越えて行く。冬に残されたように感じて蝦夷地の人は淋しさを感じる。北の人間には「鳥帰る」は今がふ…

雪虫

私達は雪虫という。季語では綿虫という。雪が降る土地と雪が降らない地方との違いだろうか。雪虫の方が「冬を知らせる」「白い綿毛や青紫の身体」からよりふさわしい呼び名だと思う。 その雪虫がますます人なつこい感じがするようになってきた。容易に手の中…

稔りの秋

帰ってきたらちょうど向いの男の子も学校から帰って来るところだった。彼はTさんの家の栗の木が気に掛かるらしく立ち止まって見上げている。まだ青いがイガが割れて実の見えているのがあったからそれを見ているらしい。私が車庫に車をいれているうちに自分…

元町あたり

俳句サークルの少しまとまった郵便物を出し終わった。天気は穏やかで気持ちが良い。明日は雨予報ということなのでそのまま車を元町まで走らせた。カットにする絵の取材である。テーマは坂。 それぞれの坂にそれぞれの秋があった。観光客がまるで歩行者天国の…

庭の秋

私の場合今年の紅葉は八甲田のそれに尽きる。ロープウエイから俯瞰した前岳の大裾に広がる紅葉の海も、酸ヶ湯の湯煙を取り囲むように燃えていた赤や黄色の一本一本を仰いだ山肌も見事という他はなかった。 オーニングやなにやかやを収納しながらふっと紅葉が…

りんご

俳句サークルの兼題の一つがりんご。りんご所七飯の人は果樹園のりんごを詠むが、私はどうしても食べるりんご、それも幼い頃デザートなどと言う言葉も知らなかった頃の食後のりんごに思いが行ってしまう。 その頃の我が家はりんごは一つを食べるのではなく切…

白内障日帰り手術(3)

手術翌日の視力検査で0.3だった視力が0.7まで回復した。昨日まで使っていた眼鏡が強くなって使えなくなった。すぐにでも新しい数値に合った眼鏡を買わねば…と思ったら、視力が安定するまでに3週間ほど様子を見た方が良いという。「車運転しますか?」…

白内障日帰り手術(2)

円い穴の空いたシートが顔に被せられた。私は手術台と化した椅子に左目だけになった。挨拶が交わされて医師が入ってきたようだ。そして「それでは??(専門用語らしき言葉)を始めましょう」と儀式のような口調とともに私の頭上に座ったようだ。「20分く…

白内障日帰り手術

私の左目は視力がどんどん落ちて右目とのバランスが取れなくなり支障を来すようになってきた。原因は加齢性白内障で私の場合は水晶体の濁りが近視を進行させているとのことらしい。「いよいよだめになったら手術をしましょう」と言っていたが、いよいよだめ…

葡萄

今秋もYamaさんから等葡萄をいただいた。留守の間に玄関に置かれてあった。 甘い。デラウエアの薄緑の肌にうっすらコナガふている。まるで実の糖分がしみ出ているかのように…。 五稜郭町28番地の家でも、門柱から玄関までの5メートルほどのところに葡…

八甲田吟(3)

大嶽からの長い下り、ハイマツ帯から針葉樹林帯を過ぎ硫黄臭のある白茶けた裸沢に来た。そろそろ紅葉帯が始まる。 谷紅葉硫黄臭より始まれり 未曉 やがてその紅葉の中に道は入っていく。対岸も紅葉、私達も紅葉。白い軍手紅葉の影が映っている。 踏む紅葉躱…

八甲田吟(2)

紅葉樹林帯を越えた山頂部やそれをつなぐ尾根はものすごい風が絶えなかった。重いと思っていた自分の身体が浮き上がる感じを両足を踏ん張ることで尾根につなぎ止めた。飛ばされたら木の葉同じである。人格まで軽くなってしまったような心細さを感じる。 痩せ…

八甲田吟(1)

八甲田ロープウエイから俯瞰 八甲田の山塊からの大斜面が熾きのように燃えている。山頂は白茶けた山肌にハイマツの緑だろうか。アオモリトドマツの樹林帯が火の侵入を許さない。そしてその上は青空。灼かれるのを恐れているのか動くものがない。 大勢でいて…

八甲田(3)大嶽〜酸ヶ湯

一端緊張感を緩めた上に昼飯を食べたせいか、ヒュッテから大嶽への登りはきつく感じられた。ヒュッテにいた人の多くが毛無岱の方へ流れたらしく大嶽への登りに人は少ない。降りてくる人は多い。その人たちに道を譲りながら一息二息つく。そしてその人たちが…

八甲田(2)井戸嶽〜大嶽

赤倉岳から井戸岳への外輪山の尾根歩きはものすごい強風の中だった。左側は赤倉の壁と呼ばれる崖であり、右側は火口壁の急崖である。強風は火口の方から吹着付ける。幅1〜2Mはある尾根路なので普通ならば恐怖感はないだろうが、油断すると飛ばされてしま…

八甲田(1)赤倉岳へ

いつもの山歩きの脚を今回初めて青森まで伸ばした。遂にしょっぱい川を渡ったのである。 朝3時のフェリーに乗船、まづ1〜3缶のビールで出陣の祝杯。1時間くらいの睡眠が取れただろうか。6時前には起きて腹ごしらえ、待たしておいたタクシーで青森駅。そ…

アップル温泉へ農道を走る。すでに刈田である。来月の兼題の一つに「鳥威」がある。威し銃も聞かなくなった。この頃ではCDがゆれていたり、金属的な光沢の色テープが風に靡いていたりする。遠いいつかの威し銃の音を思い出すしかない。 威し銃は規則正しい…

今年も招待券をいただき赤光社美術展を観賞させてもらった。いつもながら絵を描く人たちの作品に込めたエネルギーにまず圧倒される。作品の大きさだけでなく色の重なりや繊細な筆遣いなどその集中力の蓄積に圧倒されるのだろうと思う。 この展覧会は公募展な…

林檎園に行くと一種の重苦しさを感じる。比喩でも何でもない。林檎の枝ゝがそれぞれにたわわに実をつけて幹から地面にその枝先を下げているからである。重さに耐えているこの姿勢は大変な苦行である。赤ければ赤いほど重いような気もする。 収穫風景は林檎の…

新聞広告に「新蕎麦・桔梗庵」が出たので行って来た。 ご主人はいつもの厚沢部の蕎麦粉が十分に手に入らずブレンドしていると済まなさそうに言い訳していたが、なかなか美味しかった。もともと私の口は粉の産地まで判別できない。また、知ろうとも思わない。…

アップル温泉へ行く途中、農家の庭から黄菊が目に飛び込んできた。夜半まで雨だったせいか空気が澄んでいる。自家の供花にでもするのだろう二株くらいの小菊である。他にも白や薄紫の菊もあったが、この辺りの黒土によく映えて際だっていたのは黄菊だった。 …

テレビを視なければ、少なくても3時間何かできると前々から思っているが、テレビっ子の習性は朝刊のテレビ欄で夜を決めてしまうのが常である。だいたいは見たい番組一つを視るために視ても視なくても良い番組を二つ見てしまうか、出来るはずの何かが見つけ…

俳句も無し、ぶらぶら帰るだけのドライブはまず雷電海岸を通る。最初の任地島牧時代、運転免許の取りたてということもあり暇つぶしの岩内往復に使った道だ。 ラーメン一杯のためにだけ走ったこともあれば、教え子を乗せてボーリングに行ったこともあった。今…

予定された時刻より早いだろうと待ち合わせの場所へ行くと、もう楽酔さんの車は待っていた。そしてもう一台と合流する西大沼の駐車場にも私達の車は予定時刻より早く着いたがすでにしん玄さんたちは待っていた。何のことはない、今日が楽しみで楽しみで待ち…

義母を乗せて蛾眉野を走る。明日の吟行に備えて紅葉の様子を見ておこうとしてである。時季であれば私が函館近郊の紅葉名所と思っているこの谷は見事な紅葉に覆われる。まだまだ早かった。かすかに秋の気配を地の色に潜めてはいるが面には出せないでいる。後…

大雪山系ほど高くなくても冠雪したという報せが届く。低山徘徊の端くれにもそれなりの感慨を覚える。私の山の記憶に特別な物はない。歩けば五六歩のごく普通の登山道だったり、何処の山でもあり得る登山靴と農郷苺の花の情景だったりするがそんなあたり前の…