2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

昨日に引き続き七飯町民文化祭。今日は午前中のコーナー当番で何回か文化祭の展示を見て回った。 ケアハウスコーナー習字のくりのほっこりと 未曉 車椅子流るる如く文化祭 未曉 七飯俳句サークルのコーナー。左隅、卓上の小色紙立てが私の作品。

七飯町民文化祭に所属する七飯俳句サークルがコーナー展示で参加する。昨日は搬入、飾り付けに行ってきた。 園児ブース山運び来るごと木の実 未曉 途中の赤松の幹に藁が巻かれた。 街道の赤松藁を巻かれ冬 未曉

紅葉を撮りながら所用もあって椴法華まで行った。帰り、稲妻が光り、雷が鳴り、その前後に豪雨が道路をたたく中を走ってきた。海岸を背に山間に向かう。真闇の中に進んでいく。突然光り一瞬すべてが見える。走っている場所がわかる。 雷光に連山の立つ枯野か…

同窓登山、毛無山秋の山行をした。今季最後かと思うほどの快晴である。台風余波の強風で紅葉は落ちてしまっていた。期待していた山頂部ブナ林の黄葉は二週間も遅かった感じで裸木の林でしかなかった。 大石の沼に回りこむトラヴァース路に朴の大きな落葉がび…

狭庭紅葉 自生して雲に紅葉を誇りけり 未曉 満天星に触るるを拒む真紅あり 未曉

季語閑語

義父母の家は椴法華築港のすぐそばに建っている。築港施設の一部と言ってもいいほどの位置である。 今日は久しぶりにそこから漁港らしい光景を見ることができた。不漁続きだったこの一年、消沈していた浜にスケソが好漁なのだそうだ。 大時化の海から帰港し…

温かい一日になった。文化祭のためにしばらくぶりに筆を持った。窓から差し込む日差しが色紙の白を眩しく目を射る。2,3回練習して勢いで書いてしまった。強い日差しに刺激されたのかもしれない。 小春の日脱ぐ袖なしの背もたれに 未曉 念のため色紙をもう…

がびの・にしんそば

蕎麦屋さんに入ってもいわゆる種物はあまり食べない。「もり」と「かけ」で私は十分楽しめる。手打ちではないが、丸南・亀田店の「おろしそば」だけはたまに食べたくて入ることがあるくらいだ。 言葉だけで美味しいといっても裏を返さないと口先だけになって…

落葉心象 一面の落葉の下の現在地 未曉 出口無き獣道にも色落葉 未曉

二股岳紅葉残像 色とりどりの紅葉が散って流れに落ちる。水が、流れがまた別の美しさを描き出す。 縒られ来て淵にほどけし紅葉川 未曉 造林された林の木々には蔦の葉が絡みついている。緑のうちはあまり目立たないが紅葉すると、静かな命をもやそやそうとす…

二股岳に行ってきた。ここはゲートが開いていなければ4キロの林道歩きをしなければならない。「ゲートが開いていなければ」というのは、二年前、閉まっていると思った思ったゲートが開いていて往復の林道歩きをしなくても良かったことがあるからだ。歩くこ…

遅れたといいながらも稲刈りが終った。水が張られてから田圃にばかり目がいっていたが、稲刈りが終った大野平野はハウスあり畑あり休耕田ありで多様である。 大野平野カラス刈田に浮き沈み 未曉 飛んできた枯葉がウッドデッキで乾いた音をたててころがる。 …

先日急な雨に濡らしてしまった山用具を干し直した。その間中雲の色や動きが気になったし出かけられもしなかった。無事干し終わってなんだ穏やかな天気が明日まで続くのかと思っていると夜、雷が鳴り降り出した。 こんなふうに細かに気を遣わされて冬への覚悟…

我が家の満点星躑躅が真っ赤になった。家の北側にあるため朝のうちだけ陽に当たる東端から徐々に色付く。オレンジから紅色そして深紅色を経て紫がかって散るまでの紅葉の進行具合も東から徐々に進むのでいつも微妙なグラデーションを楽しむことになる。 昨日…

季題「初霜」 隣人の転居通知や霜柱 未曉 草も無き更地となりて霜深し 未曉

昨日の山登りで使ったザックや敷物を陽に干した。ついでに洗濯もして青空の下に干した。 雷が小さく聞こえたがまだ遠い…と油断していたらいきなり大粒の雨が降り出した。あわててウッドデッキの登山用具を家の中に放り込んだ。それだけでもう、体中が濡れて…

小鉾岳に登ってきた。八雲、野田生川沿いの舗装道路をを20キロメートルほど上った酪農地域に登山口がある。登山口が尾根の末端になっていて、すぐ急登となる。下の方は未だ紅葉も浅いが、高度が上がるに連れてブナの黄葉、楓の橙から赤へのグラデーション…

啄木小公園の啄木座像をあらためてゆっくり観てみると、彫刻家本郷新の啄木に対する深い理解が感じられる。深くもの思いに沈んで砂浜に坐す啄木の憂愁が繰り返し寄せる波のように観る者に伝わる。逆光になる夕方が良い。顔や胸が暗く影になりそこから今にも…

私のパソコンのすぐ横に仏壇がある。両親、祖母、長兄、次兄、若い頃同居して兄弟のように暮らした従兄弟たちの写真や位牌が入っている。元々仏心が薄いのでほとんど何もしないが、父母の祥月命日にお経を上げてもらうことと毎日生花を上げることで赦しても…

花のきれいさよりもうっとうしさが気になるほど大きくなった紫陽花を、思い切り剪った。見えなかった隣の家の玄関が見え、その玄関フードの中から小猫がこっちを見ていた。初めて見た。 庭木剪れば隣家の寄りて冬近し 未曉 ついでに少しずつ庭の片づけを始め…

和家の筋向かいにTaさんという家がある。その家の庭の隅に見事な栗の木があり、いつも大きな実を付ける。特に今年は実が大きいばかりでなく数も鈴なり状態で感嘆の声が出てしまう。十数軒だけの共用道路なので通る人もあまりいないが、散歩などで通る人は…

こうきゅう

朝刊に開店紹介で載っていたので展覧会鑑賞の足を中島町に延ばした。廉売内と書かれていたので探したが見つからない。川の方まで足を向けたら通い慣れた教育会館のすぐ横にあった。12時開店に時間はあったが、ここでの時間つぶしは困らない。廉売をゆっく…

今朝もテレビは台風情報が続いている。関東を過ぎると台風情報は注意や警戒を呼びかける内容から、被害や影響という内容が多くなる。そう聞こえるのは、おびえて待っている北日本の人間のひがみか。反面、勢力を使い果たしたのか函館では大きな被災は免れた…

季語閑語

:[季語閑語] 若い頃は誇りに思っていた視力が年を取ってから休息に落ちてきた。子どもの時イタドリの矢を受け、白目にけがをしたがそれが乱視となって出てきた。老眼が重なって物が正確に見えない。4日、5日月がきれいがったがこの眼では十六夜と満月の区…

久しぶりに美利河丸山に登った。急登を終え尾根に出たところで笹に埋もれた腐木に茸がびっしり付いているのをYaさんが見つけた。帰りに採って調べたらムキタケであることがわかり収穫させて頂いた。見つけてもらって同定したもらって私は採るだけである。…

俳句サークル十一月の兼題は「菊」。豪華絢爛に作られた菊も良いがやはり菊と言えば野菊がいい。図鑑で調べれば薊やハンゴンソウ、セイタカアワダチソウもキク科だが季語の「菊」からははずれそうだ。せいぜい「野紺菊」「黄金菊」「友禅菊」くらいか。「野…

季語閑語

:[季語閑語] 鳥雲の編集で昨年賀老に行ったときの写真を探った。目的はシマリスの頬袋だ。先日蝦夷松山で撮した木の実とコラボレーションさせるためだ。ピントが甘いし遠いのでトリミングで大きくしたらシャープさが全く無い。でもなんとか一生懸命になって…

寒くなかったのでしばらくウッドデッキで月を見ていることが出来た。供花に挿した秋草が月の下でそれぞれに違う表情を見せる。薊はその鮮やかな紫の色を失って白いし、鬼灯はオレンジ色が妖しい。薄は影の方が鮮やかで主張が強い。 野薊の色失のうて月の下 …

外は中秋の名月が空にある。毎年のことだが近所のTaさんから栗の枝をもらう。見事に大きい栗である。今年は鷹の羽模様の葉の薄まで着いている。 栗の枝もろふて今日の月を待つ 未曉 それだけではあまりに他力本願なので自分で秋草を採りに、藤城スカイライ…