車で奥のほそ道・日光

  道の駅を出て、再び日光街道に戻り、芭蕉も見たであろう(何も記していない)下野国分寺跡に寄って二港を目指した。
 車で通ることに罪悪感を覚えるほど見事な杉並木の中をしばらく走らせて貰う。人の歩くところは所々に有るだけでほとんど車専用道路になっている。排気ガスが過ぎに悪影響を与えないためにもこの雰囲気を味わうためにも歩くことが最もふさわしいのだろうけれど…そしてまた罪悪感…。芭蕉中禅寺湖は行っていないがついでなので先に中禅寺湖華厳の滝を訪れた。蕎麦屋も一軒あたりを付けている。(4月7日記)
 《御山に詣拝す。往昔この御山を「二荒山」と書きしを、空海大師開基の時、「日光」と改め給ふ。千載未来を悟り給ふにゃ、今この御光一天にかがやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏やかなり。なほ憚り多くて筆をさし置きぬ》と記し、
   あらたふと青葉若葉の日の光   芭蕉 
 神となった家康に大心服を寄せている。この山は観音の浄土を表す補陀落山(ふたらせん)から名をいただき、「二荒山」と表記していたものを「日光」と音を生かして表字を変えたという。芭蕉はそれを更に「日の光」と今度は文字の意味を生かして句に詠み込でいる。その文字力というか言語感覚というのは素晴らしいという他はない。私は元々東照宮のような権威主義的な「どうだおそれいったか」的なものは好きではない。しかし、当時の人たちが、それまでの殺伐たる下克上の血で血を洗う時代を、少なくても戦乱のない世に変える礎を作ったという意味で家康を神格化したのはわかる。また、神格化することで爆破は権威をより強固にしたのだろう。
 

芭蕉は、東照宮から北へ20キロほどの「裏見の滝」へも足を運んでいる。《二十余丁山を登って滝あり。岩祠の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて滝の裏より見れば、裏見の滝と申し伝へ侍るなり》
   暫時は滝に籠るや夏の初め    芭蕉 
 東照宮から少し中禅寺湖よりに進み、国道から10キロの一車線の道路を走る。終点の駐車場から15分登って裏見の滝に着いた。山道は今風に整備されていたが、味わいは、中禅寺湖華厳の滝より深かった。