2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

春に定義はない。立春を過ぎれば現実の寒さや積雪の多少に関わらず大ぴらに春の季語を使える。食べるものに走り、旬、名残があるというがさしずめ季節で言えば走りの春であり、名残の秋となるのかもしれない。どちらも冬を念頭に置いての季節感である。 天気…

退職後一年間の再任用を区切りに教職を止めた四月、備忘録だけは続けようと考えた。日記は続かないことがわかっていたし、人や仕事の約束も発生しない無職の身だけれど、出来事だけでも記録し、また「特記事項無し」も積み重ねれば何か意味を持ちそうな気が…

大森浜には鰈釣りが竿を出していた。三人で7本、この時期多いのか少ないのかわからないがみんな働いている時間からかもしれない。一人は動き回って散歩の人やゴミ拾いをしている人と話している。自分の竿は離れたところに3本立ててある。一人は竿を持って…

啄木座像を背に砂浜に降りる。引き潮が始まったばかりなのか波の及ばないところも濡れて締まっている。春の海である。波に汀まで行っても逃げ遅れて足を濡らすほどの力強さはない。 貝殻が落ちている。二枚貝の片方だけだとわかっていながら裏返してみる。表…

椴法華の義父の家は椴法華港の監視所のような位置にある。昼下がりの築港は静かである。今年初めての温かさの家で、漁師たちは昼寝の最中だろう。帆立を洗う機械も乾き、構内には波一つ無い。と思ったら市場の前あたりに舫っている漁船がたくさんの大漁旗で…

ものの芽の目鼻を持ちて賑やかに 未曉 いっせいに芽吹き始めている。よく見ると芽が温かさや日の光を取り入れ、ふくらみほころんでエネルギーを外に伸ばしていることがわかる。花痕、葉痕も含め口に見えたり、鼻に見えたり、耳、目を思わせる色や形をがあり…

当別丸山の腐れ雪の下山に疲れ、後部座席でうとうとしかかると鳥を狙っていたYamaさんの声がした。広く潮が引いた磯の汐溜まりに白鳥が憩っていた。海の白鳥も珍しいし、函館山の西面をバックという構図なら私のカメラでも撮れそうなのでシャッターを押…

蕪村の句以上の句は思い浮かばないような大森浜である。一枚一枚の波が春を届け続ける。大方は砂に染み入るが少しは弾け大気の春を進めていく。そのたびに眠くなる。横のスペースに車が止まり、若い女性の歓声で目を覚ます。観光らしい。浜辺ではおばあちゃ…

椴法華の義母から干鱈を貰う。干鱈などとは言わない。「ぼんだら」である。大好物で、以前は専用の石が庭の隅にあり金槌で叩いて身をほぐした。生臭さが強いので家の中で身をほぐすことはさせて貰えない。今は、専用かどうか知らないが漁師の家でローラーに…

ダウラギリ朱し霞を透きとほり 未曉 数年前3回目のヒマラヤトレッキングはアンナプルナサウスとダウラギリを見る旅だった。 朝、薄い膜のような霞がかかり、歩いている昼過ぎまでは快晴、午後から曇りがちと言うのが天気パターンだったが雨に降られrことは…

大沼、駅の裏から、小沼越しに宿野辺方向を見る展望場所への途中に小さなお寺がある。沼の水位がもう少し高ければ島になってしまうような小山を背にしている。そこから小鳥の声が聞こえる。Yamaさんは探鳥、鳥撮りだが、私の目ではその姿は捉えようもな…

目を凝らしてよく見なければ見えないような雨が降っている。 我が家の居間に20年前桂林に旅行したときの画が飾ってある。 床の間も無いのに行く先々で嫌気がさすほど掛け軸を売りつけられた。バスにいれば窓下に来、歩いていれば目や耳を奪わんばかりに前…

桜餅葉味もろともの甘さかな 未曉

三つ突き仕舞う他無し紙風船 未曉

紙風船子等にはもっと高き空 未曉

鰊群来海白濁のニュース画面 未曉

晩酌の外に子の声の日永かな 未曉

今年も我が家の擁壁に捨て雪が半円錐に積まれた。擁壁の下は空き地。冬になると毎年出来ることになる。すぐそばの物置兼車庫の屋根からの落氷、落雪が心配だがここ数日の暖気であらかた落ちた。下から上って滑り降りる約束で向かいの四兄弟に遊んでも良いこ…

融雪剤斜面大きく遊びけり 未曉

函館山 行く雲や雪脱ぎたまう笑まひ仏 未曉

山げらの声の在処の枝垂れ雪 未曉

凍道に老老揺れて通りけり 未曉

去年の土流れ行きけり葱洗ふ 未曉

囀りに膨らむ山や寺の内 未曉

今年最初の歩きを大沼周辺としたが、午前中の探鳥を終えたところで予想外の雨。日暮山スノーシュー歩きは中止になってしまった。 囀りや枝垂るる光降り残し 未曉

大氷柱落ちて大窓大欠伸 未曉

球春のキャンプ地便り土の上 未曉

寒明けや昨夜抜け殻に身を入れる 未曉