車で奥のほそ道・栗橋

 長女のアパートはさいたま市にあり、すぐ近くを新大宮バイパスが通っている。東北高速から大きな道路を通るだけで行けることも今回車を使おうとした大きな理由であり、この旅もそれがきっかけとなった。
 芭蕉は、深川から舟で千住まで登り、そこから草加、春日部と歩き始める。しかし、そのあたりを運転する自信はないので、今回の芭蕉を追う旅は、わかりやすい16号線を走り、日光街道である4号線とぶつかる小渕から始まることにした。
 芭蕉のみちのく旅では、義経にまつわる旧跡も訪ねている。
 日光街道を進むと利根川が埼玉県と茨城県を分けるところに栗橋という昔の関跡がありそこに静御前の墓があると言うので訪ねた。本州の古くから有る町は車向きに出来ていない。道幅は狭いし、曲がっていたり行き止まりがあったりで探すのは大変である。こんな時はまず駅を見つけることにしている。駅には必ず観光案内板が有るし、駐車場もある。駅は線路にぶつかったところから探せばよい。駅に行ってみたら探すこともなかった。静御前の墓は栗橋駅の駅前広場の一角にあった。
 説明板によると、「静御前は、平泉に落ちた義経を追って栗橋まで来た。しかしここで義経が討たれたことを知らされた。深い悲しみの中京へ帰ろうとしたがそれもなしえず病を得、亡くなった」とある。30坪ばかりの墓所だが、鳥居やらいくつかの石碑やらがあり傍には観光客目当てらしい茶店もあった。しかし帰ってから調べてみたら、「義経記に」は陸奥に旅したこともなく、京都天竜寺の近くで亡くなったとあるそうで、どうやらよくある義経伝説の一つらしい。しかし、地元の人に伝説ですねなどと言ったら怒られそうなくらい大事にされていた。

 棚に枝を預けられた桜があり、「静桜」と木札がかかっていた。その蕾はまだ固かった。
     追ひ行かん静桜や駅の傍   未曉