車で奥のほそ道・武隈

 早朝白石城を見て、武隈(現、岩沼市の旧名)に入った。行動開始が早かったのでまだ9時前だった。芭蕉が立ち寄っている竹駒神社は境内清めの時間だった。若い神官が箒で掃き清めながら「おはようございます」と挨拶してくれる。信心から早朝に来たわけではないので少し面映ゆい気を持ちながら、それらしい松を探す。しかし、境内松だらけだ。
 昔、京から来た役人が植えた松が、数年の後再度任じられてこの地に来たときその松が残っていて、《植えしとき契りやしけん武隈の松を再びあひみつる哉》と読んだ。松は橋の杭などに伐られたが、植え継がれその度に根本から二つに分かれたという。歌枕「武隈の松」である。
 「《武隈の松見せ申せ遅桜》と挙白といふ者の餞別したりければ」お前書きして
    桜より松は二木を三月越し   芭蕉
 と句を残している。
 遅桜よ自分ばかり見てもらうのではなく武熊の松も(芭蕉翁に)見せてあげなさいと江戸を立つとき挙白にはなむけを送られたが、その桜よりもう三月も超してしまって二木の松は待って(松)いてくれたよ、と読み解くのだそうだ。
 句碑の近くにそれらしい松があった。芭蕉は、この日《岩沼に宿る。武隈の松にこそ目覚むる心地はすれ、根は土際より二木に分かれて、昔の姿うしなはずと知らる》と書き記し、松にも感心しているが、今7代目の松と言われてもその感慨に近づくにはこの神社の周りを余り豊かでない往時の農村風景に置き換えなければならないようだ。それよりも、やはり芭蕉の言葉遣いの巧みさに驚かされる。