車で奥のほそ道・信夫文知摺

 福島市の北東郊外に文知摺石で有名な文ち摺観音がある。昔、この石の表面の凹凸に布を覆い摺るり出すと、もじり乱れたような模様が染め上がり、それがこのあたりの名産になっていたという。また、都からこの地に役人として来た源融と地元の娘虎女が恋仲になり、融が都に帰った後虎所が会いたい気持ちをこの石に託したところ石に融の面影が映し出されたという。都の融が歌を送ってよこした。
   みちのくの信夫文知摺誰ゆえに乱れそめにし我ならなくに   河原左大臣
 片方は凹凸があったといい、片方は面影が映し出されるほど平ら(鏡石とも呼ばれている)だったという。後日談として、大雨の時に転がり落ちたとか、訪れた人が育てた麦を盗って模様を染め出そうと畑を荒らすので、地元の人が突き転がしたとかで、言い伝えられている面は下になってしまったそうだ。どちらなのか確かめようがない。一瞬クレーンで…とも思ったが無粋この上ない。

 芭蕉は、この言い伝えを里の子ども達から聞いて「さもあるべきことにや」と思い、句を残している。
   早苗とる手もとや昔しのぶ摺    芭蕉
 正岡子規も明治26年に此処を訪れ
   涼しさの昔をかたれ忍ぶずり    子規
 石柱を柵にしっかり囲われた石が、人を惹きつけ、詩を作らせる。石に思いを込める人、石から思いを得る人。私はどちらにもなれなかった。