俳句も無し、ぶらぶら帰るだけのドライブはまず雷電海岸を通る。最初の任地島牧時代、運転免許の取りたてということもあり暇つぶしの岩内往復に使った道だ。
 ラーメン一杯のためにだけ走ったこともあれば、教え子を乗せてボーリングに行ったこともあった。今思えば馬鹿毛の至りだし、その教え子を乗せたときは帰り道この雷電海岸で車をスリップさせてしまい、対向車に車をぶつけてしまったこともある。幸い相手は停まってくれていたし、こちらも滑り止まろうとしていたので結果的には修理代で住んだが、間違えば教え子の命に関わることでもあった。
 そんな走り慣れた道が様相を変えていた。短いトンネルと小さく急なカーブが連続し急崖が海に落ち込む海岸美の雷電海岸は、長ーいトンネルに全部まとめられてしまっていた。海岸美は雷電温泉と刀掛岩のところに申し訳のように残るだけだった。
 夕日の時が一番美しかった。いつも独りだった。
     若き日を飛沫(しぶき)に砕き秋怒涛   未曉