「鳥帰る」というのは春の季語だから鵯が南へ帰る今は使えない。
 春になって豊かな蝦夷の緑に餌や涼を求めてわたってきた鳥たちが今日も海峡を南へ向かって越えて行く。冬に残されたように感じて蝦夷地の人は淋しさを感じる。北の人間には「鳥帰る」は今がふさわしい。季語が和歌を初めとしている以上仕方ないが季語があちらの人の感覚で作られていることをいつも感じる。
 今年も松前白神岬で鵯の海峡を渡り行く様を見てきた。今日は風が強く、昨年とはちがっていた。昨年のように鵯は一斉に上空を目指すのではなく、斜面に添って西へ流れるように仲間を誘いながら群を作って舞い上がる。そのまま山肌に添うように岬の西蔭に消えた。追いかけた人の話によると、岬より西へ離れたところから海面近くに降りて津軽を目指したそうだ。強い北西風を抵抗にするのではなく少しでも追い風にしようとする智恵らしい。全ての鵯が例外なくそうする。鵯にある鵯の生きる力を感じた。私達も遅ればせながら西へ移動し、小集団の鵯を津軽へ見送った。
   海峡を鵯帰る鵯で       未曉
では、春の句になってしまう。
   秋海峡鵯渡る鵯で       未曉
 帰途、大千軒岳の登山口付近澄川上流の紅葉狩をしてきた。
   紅葉頃生れし子の手の小ささよ 未曉