山眠(っていない)

takasare2007-12-12

 俳句では冬の山の様を「山眠る}と表現する。ちなみに春「山笑う」夏「山滴る」秋「山粧う」と言い表し、古人の言葉に対する感性に感心するばかりである。しかしそれだけに俳句にするときこちらの感性も問われる気がして難しい。おだやかになだらかなた山容が静かに冬空の下に横たわっている。雪が山の起伏に丸みを与えるだけでなく、すべての営みを覆い隠すように降り積もればまさしく山は眠りに就いたとしか言いようがない。麓から見ている限りは…。
 しかし、山は眠っていない。というか、眠られないようだ。今日は大沼の水が渡島平野に流れ込むのを防ぐように横たわっている山稜の一角、台場山古戦場を目指す林道を歩いた。決して静かではない。
 水力発電所の脇を通り、山裾にぶつかったところに台場山古戦場入り口、七飯林道のの標識があり、そこに車を置いて歩き出した。トラバースするように林道が伸び、一曲がりしたところにゲートが下りていた。そこからイクラも登らないうちに簡単な案内図があり台場山を通る周回コースを歩くことにした。雪に人の足跡はないが兎の足跡が寄り道もせずまるで登山者のように幅広の林道を登っている。夏は車が通る砂利道だろうからえさになるようなものはないだろうに、なぜここを通るのだろうかと思った。しばらくその兎の足跡に導かれるように登っていくと前方に看板が見えた。近づくと「台場跡へ400M 」と書かれていて、林道から直角に斜面に作業道のような道がついている。私は、そういう派手なものにしか眼に入らないが、Yamaさんが「これ熊だ」と声をあげた。
 林道を上から兎の足跡を消すように辿って下りてきた熊の足跡が、ここで方向を変えてその作業道を登っている。一頭。早速写真を写し始めた。足跡は、横15cm強、縦20cm強で指の部分、掌の部分が明瞭に刻されている。これだけはっきりしているということは、そう時間がたっていないということでもある。多目の雪がもう二度も降っている。てっきり冬眠していると思って鈴ははずしてきたのに「まだ寝ていない熊もいるんだ」と恐怖心が沸いてきた。ましてやこれから我々が行く方向に足跡も向かっている。頼みは4人という人数だけである。「熊に遭遇したらみんなで力を合わせてにらみつけること」と確認しあい、声を出し、ホイッスルを吹き鳴らして登り始めた。風もなく、静かな冬の山を弱弱しい我々がけたたましくうるさくしている。山は「眠る」どころではない。(明日へ続く)