春に定義はない。立春を過ぎれば現実の寒さや積雪の多少に関わらず大ぴらに春の季語を使える。食べるものに走り、旬、名残があるというがさしずめ季節で言えば走りの春であり、名残の秋となるのかもしれない。どちらも冬を念頭に置いての季節感である。
 天気に誘われて一人吟行というドライブに出かけた。車を停めておく場所が少ないことに困るが乗ってばかりいては俳句の種は見つからない。大野平野を横切る農道の耕地へのアプローチに車を停める。概観すると白光の駒ヶ岳、稜線を違えて七飯岳、横津岳、袴腰岳、雁皮山、蝦夷松山が続く。対して南に函館山がある。銀嶺が明るい日差しに映えて冬晴れを思うが、少し歩いて足元を見ると土が見え、そこかしこに農家の人の昨日の営みが窺える。

春めくや溶けゆくものの今日もあり   未曉
氷と言い、夜の凍てを思えば冬、春泥、薄氷と見れば春がある。