たかされエッセイ

伊藤さんのおじさん(3)

当たり前のことだが、私は今まで働いたからお金がもらえたと思っている。 大学卒業時に就職できなかったときもすぐアルバイトに行っていくらか家に入れたし、行きたくなかった神奈川県の採用試験も受けたりした。理想とする就職の前に「食うために働く」こと…

伊藤さんのおじさん(2)

最初は「烏賊のし」と言っていたするめいかの整形である。足の踵で反ったり丸まって半乾きのするめの耳の先を押さえつけ、両手指で裾を引っ張ってきれいな三角形に伸ばすのである。十本の足を揃え伸ばして一枚出来上がりである。烏賊の折り箱の釘打ちもやっ…

伊藤さんのおじさん

私が小学生の頃我が家にしょっちゅうきていた髭ずら丸顔の男の人がいた。伊藤さんのおじさんと呼んでいた。父が勤めから帰宅して晩酌を始める頃に来るのが普通だったが、来れば父が居なくても母や祖母を相手に過ごしていた。夕食の仕度に忙しい母は簡単な肴…

スッポンカッポン考(2)

母の真顔から、友だちとの話のふくらみから植え付けられたその意識が私をスッポンカッポンに近寄らせないとても強固な金網の塀になった。 私は、「スッポンカッポン」の由来を私の臆病な性格を棚に上げて「母親金網説」に間違いないと思っている。あの当時、…

スッポンカッポン考(1)

「スッポンカッポン」。亀田川に、今は跡形もないが私が子どもの頃現在の白鳥橋と田家橋の間に堰を設け作られていた防火用水池をこう呼んでいた。金網が周囲に張られていたようにも思うが、小学校高学年や中学生たちには入ろうと思えば入れるところだった。…

りゅっこ

その後母と石井さんのおばさんとの手紙のやりとりがあり、いきさつがわかってまたびっくりした。石井さんのおばさんは国鉄から報告を受けてあきらめようとしていたそうだ。 石井さんが出発した翌朝、発車前の点検のため国鉄の職員が貨車の戸を開けた瞬間りゅ…

りゅっこ

りゅっこは左足が不自由だった。立つときは四本足で立つこともあったが、歩くとき、走るときは後ろの左足を使えずに走った。非常階段から落とされた後遺症である。下あごを撫でているときは気持ちよさそうにしているが、頭を撫でると「ウ〜」とうなりだし、…

りゅっこ

りゅっこ 私が子どもの時私の家に犬がいた。名前は「りゅう」と言ったが、みんなは「りゅっこ」と呼んでいた。しかし正確に言うと私の家の犬ではない。 終戦直後、樺太から引き揚げてきた我が家は歌志内の父の兄の家に身を寄せてシベリア抑留となった父の帰…

どかどか歩き 世界で一番高い山には三つの名前がある。サガルマータ・チョモランマ・エヴェレストの三つである。 サガルマータは南からこの山を見るネパール語で「世界で最も高いところ」、チョモランマは北からこの山に信仰を寄せるチベット語で「大地の母…