スッポンカッポン考(2)

 母の真顔から、友だちとの話のふくらみから植え付けられたその意識が私をスッポンカッポンに近寄らせないとても強固な金網の塀になった。
  私は、「スッポンカッポン」の由来を私の臆病な性格を棚に上げて「母親金網説」に間違いないと思っている。あの当時、日々の暮らしに忙しかった母親たちは言葉で愛する子どもたちを危険から守るしかなかった。私の母だけではない。あの頃の母親たちはそうして子どもたちに行ってはならない場所に塀を作り鍵をかけていたにちがいない。少しきかない子どもの母親が心配のあまり殺人事件まで付け加えたにちがいない。そして疑うことを知らなかった子どもたちもそれに応える時代だったのだろうと思う。どこかの母親が想像した作り話に母親たちがこぞって口裏を合わせ、金網を高く強固な物にした結果、「スッポンカッポン」は子どもたちの中でアンタッチャブルな呼び名になっていったのだと思う。私が知らないだけかも知らないが、スッポンカッポンで命を落とした人がいたという事実は聞いていないし、湿地帯説も限定された防火用水施設名の由来としては結びつきがたいからである。
 今子どもたちは守られている。頑丈で一寸の隙もない立派な金網の塀がどんどん建てられ、鍵があちこちに掛けられている。母親たちもそれで安心する。
 中学生になってからだと思うが、あるとき一人でスッポンカッポンに行き、その縁を歩いたことがある。川との境はおっかなくて歩けなかったと思うが残りの三辺は歩いた。それ以後亀田川で遊ばなくなった。そしていつのまにかスッポンカッポンも無くなった。