伊藤さんのおじさん

 私が小学生の頃我が家にしょっちゅうきていた髭ずら丸顔の男の人がいた。伊藤さんのおじさんと呼んでいた。父が勤めから帰宅して晩酌を始める頃に来るのが普通だったが、来れば父が居なくても母や祖母を相手に過ごしていた。夕食の仕度に忙しい母は簡単な肴と酒を小さなちゃぶ台に出して立ち働きながら話し相手をしていた。それで失礼になるようなお客さんではなかった。伊藤さんのおじさんの家も私たち兄弟と同じような年格好の子どもが居たり、家族ぐるみのつきあいとも言えたのでお互い遠慮がなかった。
 伊藤さんのおじさんは姓は同じ伊藤だが親戚ではない。我が家は父方も母方も函館、道南に親戚は無かったので私はいわゆる親戚づきあいを知らずに育っている。親戚と言う概念が欠落している。今から思えば私のその辺りを埋める存在だったのかもしれないが同時に今から思えば不思議な存在でもある。
 家も近かったし、伊藤さんのおじさんの奥さんと母とおかずやもらい物のやりとりはあったが、来るときはいつも手ぶらで、私たちへお土産などは全くなかった。その上酒飲みにももかかわらず私たち兄弟の印象が良いのは酔っぱらうことがなかったことと長居をしなかったからだろうと思う。私が小さい頃は膝にひっぱりこまれて父にない濃い髭のそり跡で頬ずりされるのはいやだったが、来ていて困ることはなかった。
 私の家は給料生活だから困窮することはなかったが、余裕はなく母のやりくりでなんとか暮らしていた。だから小遣いは無かった。「働かざるもの食うべからず」が基本だったので中学生になると兄弟三人とも新聞配達などのアルバイトが許された。小学生の時はさすが許されなかったが唯一伊藤さんのおじさんが持ってきてくれたアルバイトは小学生の私にも許された。(続く)