スッポンカッポン考(1)

 「スッポンカッポン」。亀田川に、今は跡形もないが私が子どもの頃現在の白鳥橋と田家橋の間に堰を設け作られていた防火用水池をこう呼んでいた。金網が周囲に張られていたようにも思うが、小学校高学年や中学生たちには入ろうと思えば入れるところだった。なぜこんな名前が付いたかは諸説ある。この防火用水池に落ちた人はスポーンと沈んでなかなか浮き上がらず、ある日遺体がぽかーんと浮かび上がるから…とか、この辺りは湿地帯で踏み込むと足がすっぽり土中に埋まり、がんばって足を抜くとカポーンと音を立てて抜けるから…などである。しかしこれらの説は大きくなってから耳に入ったことで、幼い私が母に訊いたときは、母はすぐ「昔あそこに落ちた人が…」との謂われを真顔で話し出し「だから行ったらだめだよ」と終わりに付け加えられたことを覚えている。それ以来臆病な私にはすっぽんかっぽんと言うところは恐ろしい場所、近づいてはいけない場所として植え付けられてしまった。友だちの間でも、みんながみんな「落ちた人が…」「あそこで身投げした人が…」と言っていた。話すたびに自殺者の数は増え、ついには殺人事件まで言い出す友だちさえいた。
私は小学生時代今の図書館の裏手に住んでいたから、このスッポンカッポンから二〜三百メートル上流のあたりの亀田川は遊び場の一つだった。低い土手を越え、一メートルくらいの石垣の岸を飛び降りると広い(小さかった私にはそう思えた)川原があった。せいぜい水切りの回数を競ったり、空き缶か何かを的に石をぶつけていたにちがいない。そういえば、トンギョという小魚を釣ったりもした。友だちと行ったり、一人で行ったり…
 そしてその下流にいつもスッポンカッポンがあった。
 私は千代田小学校に通っていた。家から、今でいえば中央署裏の鍛冶町への道路を通り白鳥橋への道路の途中から家々の間を抜けて行くのが通学路だった。今と違って交通量は少なかったとはいえ、亀田村と市を繋ぐ幹線道路だったから当時としては人通りも多く、車が走り馬車が通り自転車が駆け抜けていた。ぼんやり歩く癖がある私は高学年になるとそれをきらい、少し遠回りだったけれど次第に亀田川沿いを通学するようになった。
 その時もスッポンカッポンはいつも向こう岸にあった。(続く)