伊藤さんのおじさん(2)

 最初は「烏賊のし」と言っていたするめいかの整形である。足の踵で反ったり丸まって半乾きのするめの耳の先を押さえつけ、両手指で裾を引っ張ってきれいな三角形に伸ばすのである。十本の足を揃え伸ばして一枚出来上がりである。烏賊の折り箱の釘打ちもやった。獲れた烏賊を陸揚げするときに使う木箱作りである。長さ二種類の厚さ5ミリほどの板を枠状に釘打ちし、少し隙間を空けながら底板を打って出来上がる。暑い陽ざしの中打っても打っても減らない板の山の中を思い出す。ある年は、正月用に舞玉を水木につけることもやった。新聞紙に澱粉糊を敷きその上に半球状の舞玉をならべ色の組み合わせを考えながら水木の枝を挟みつけて飾っていくのである。伊藤さんのおじさんが年末にやる年の市の店頭に並べられる。次の年の年末にはその年の市で売り子もやった。五稜郭の電停である。両側に十軒もあったろうか。今では考えられないほどの賑やかな人通りの中知らない人に大きな声で「しめ縄いかがですか」等と叫んでいた。小屋の中の一斗缶の炭火が懐かしい。
 今から思えばどのアルバイトも厭になった思い出がない。きっと厭になるほどそしてつらくなるほどやっていないのである。一日か二日で終わっているからだと思う。そうだろう、小学生の私に満足な仕事が出来るはずもない。もう一歩今から思えば、ロスを承知で、邪魔にしかならないことを承知で「アルバイト」させてくれたのである。函館に親戚のない我が家ではお年玉は父から貰うだけだったから、かわいそうに思った両親と結託した伊藤さんのおじさんの小遣いをくれる口実だったのではないだろうか。(続く)