りゅっこ

 りゅっこは左足が不自由だった。立つときは四本足で立つこともあったが、歩くとき、走るときは後ろの左足を使えずに走った。非常階段から落とされた後遺症である。下あごを撫でているときは気持ちよさそうにしているが、頭を撫でると「ウ〜」とうなりだし、つい手が背中から腰の方にでも向かうものなら「ウッウッガウ〜」とその手に噛みつく。もちろん威嚇だけだが、幼かった私はそれだけでりゅっこを友だちとは言えなかった。
 数年後、援護局が廃止になり父と石井さんは、農林省出先機関の公務員となった。転勤をしないと決めたのか父が家を建て、我が家は今の函館図書館の裏手に引っ越した。石井さんはブラザーミシン(現北海道新聞函館支社)の辺りに家を借りた。りゅっこは石井さんだけの犬になった。
 石井さんが帯広に転勤することになった。りゅっこもおじさんが作った木の檻に入れられて貨物列車で送られることになったようだ。そのころの交通事情では仕方がない。それでも連れて行こうとするおばさんの愛情を感じた。
 転勤の時季だから春休みだったと思う。小学生の私の仕事であった玄関の掃除をし、父の靴を磨いていたら突然痩せてみすぼらしいりゅっこが私の家の玄関に飛び込んできた。帯広に行ったはずなのにびっくりした。「りゅっこ!」と呼ぶと私の足の間に飛び込むように入ってきた。母もとんできた。母の手をなめようとするりゅっこの舌は血色が無く、それよりも口がただれたようになっていた。歯はぼろぼろになっていた。「この口なら何も食べられなかったよきっと」と母は泣かんばかりに言った。私はそれだけでかわいそうになった。食べられないつらさは心底同情できたから…。母は戸棚に急ぐと、貴重品だったバターの包み紙にバターをたっぷり残したまま持ってきてりゅっこの前に置いた。りゅっこは夢中でそれを舐めた。(続く)