りゅっこ

 その後母と石井さんのおばさんとの手紙のやりとりがあり、いきさつがわかってまたびっくりした。石井さんのおばさんは国鉄から報告を受けてあきらめようとしていたそうだ。
 石井さんが出発した翌朝、発車前の点検のため国鉄の職員が貨車の戸を開けた瞬間りゅっこが飛び出して逃げてしまったそうである。石井さんのおじさん手作りの檻の格子は噛み破られてをり、食い破られた木には血が付いていたそうである。口がただれ、歯がぼろぼろになっていたわけである。五稜郭の貨車操車場から千代田小学校付近の住み慣れた家まで通ったこともない道をどう見つけたのか。野良暮らしをしたこともなく、食べられない口で何を食べていたのか。しかもやっとたどり着いた家は、いるはずのやさしい石井さんのおばさんがもういない空き家だった。何日かそこにいたらしい。どうしても石井さんがいないことが分かったりゅっこは次に私の家にいるのではないかと考えたようだ。以前は一緒に住んでいたし、石井さんのおばさんは我が家に何度も遊びに来ていたからその道筋に何か痕跡を感じたのかもしれない。私たち一家はりゅっこが私たちの存在を思い出して来てくれたことが嬉しかったし、母は「えらい、えらい」と褒めた。
 この出来事は私の少年時代の大きなできごとだった。りゅっこに対して今思えば畏敬の思いを抱いたのだと思う。犬という生き物の代表とさえ感じたように思う。
 石井さんのおじさんが出張で函館に来たとき、それしか方法がないと言うことで、また箱に入れられて帯広に送られるまでりゅっこは我が家の犬だった。大きな犬が来ると吼えるだけで後ずさりする犬だったし、偏屈なところもある犬だったし、相変わらず背中に触らせない犬だったけれど、友だちにはこのエピソードで自慢し誇れる犬だった。
 教職について私が担任した多くの子どもの中にも犬や猫やペットをかわいがる子がたくさんいた。かわいがると言うだけでなく、あきらかにペットに支えられている子も多くいた。勉強はさっぱりだった子が好きな題で作文を書かせるといつも「ぼくのいぬ」という題で原稿用紙に何枚も書く子もいた。そして、そしてでつながるひらがなばかりの作文だったが作文力うんぬんを超えて愛犬への愛情にあふれていた。成績には換えられない生きる力をペットから貰っていたように思う。
 私にはりゅっこがいたことをこの頃になって思う。そして、共働きを理由に二人の娘が飼いたがった「犬」を飼ってやれなかったことを今少し悔いている。(終わり)