とうじ蕎麦-1

  万緑に道を探してとうじ蕎麦  未曉

 蕎麦のことならなんにでも興味を持っていたころ「とうじ蕎麦」と言う蕎麦の食べ方があることを知った。それからしばらくして作家いわさきちひろのエッセイに「ときどきとうじ蕎麦を楽しんでいる」という一文に接した。そして退職後「蕎麦紀行」と称して青森から福井まで車で経巡ったとき、たまたま狙いをつけた安曇野蕎麦屋への途中に寄ったいわさきちひろ宅でとうじ籠がキッチンの壁に掛かってあるのを見つけた。いわさきちひろはもう亡くなっていたが家は記念館的に残されていた。当日は中へ入れなかったから、窓からのぞいた視線にそれが見つかった。写真や繪でも見たことはなかったがエッセイの一文があったから勝手にそう思った。しかし確信もあった。
 つぎは4年前家族で金沢、長野、松本を旅行したとき、松本の昼食を私が引き受け、「とうじ蕎麦」を食べさせてくれる蕎麦屋を探してセッティングした。そこで初めて念願のとうじ蕎麦を食べたがファミリーレストラン的な大きな蕎麦屋さんで、混んでいたせいもあり、実際のところとうじ蕎麦の食べ方を体験しただけという感じが強かった。 

 帰りに店の人に「とうじ籠は売っていませんか 」と訊くと「なかなか手に入らなくて、店でも補充ができずに困っています」と言う返事だった。同時に「とうじ蕎麦は長野県ももう少し南の方が本場なのでそちらの方なら手に入るかも… 」ということだった。

   今年の6月下旬、毎月句会と飲み会を続けている仲間と木曽路をレンタカーで走った。二日目の昼食を任されたので「本場のとうじ蕎麦」を味わえるチャンスとネットで探し、中央道から20数キロ山の中に入るが開田高原にある小さな旅館に狙いをつけた。 カーナビの案内で着いた「ふもと屋旅館」は木賃宿風、古い建物でまっすぐなところとか平らなところはなく床も曲がるたびに床材が違っているような旅館だった。囲炉裏もあったが使われていないようだ。少し広い広間に通された。先客は一人。長机にガスコンロが二つ4人で一つの鍋を囲むようにセッティングされていた。とうじ籠と木のしゃもじと割り箸、お椀も待っている。松本でのとうじ籠よりごついがしっかりしている。やがてコンロに鍋が掛けられた。醤油汁の表面には油揚げがびっしり浮いている。かき混ぜてみると地のものだろう山菜も入っていた。蕎麦が来るまで酒を飲んで待っている。私の今日の運転ノルマは終わっているから蕎麦前も楽しんでいた。