「はし膳」(2)

takasare2006-04-23

  青春早期のその後
 私は初めての事柄への対応が嫌いと言うかすごく下手である。つまり、見通しのもてない事に対して取り組めない。臨機応変能力はほとんど無い。逆に、一度経験するとそこを変えようとせず飽きずに利用することになる。蕎麦屋も例外ではない。高校大学と必要以外のお金を持ったことが無かったから蕎麦屋に入ることもあまり無かったが、入るとすれば「はし膳」だった。蕎麦は安かったし、嫌いではなかった。そして「はし膳」の雰囲気は好きだった。客が多かった。忙しく振る舞いながら蕎麦屋独特の符牒で店と調理場のやり取りがあった。頭より数段高いところまで積み上げた蕎麦や丼の盆を肩に、自転車で町の中に走って行く出前もかっこよかった。そしてどんなに忙しくても私のかけ蕎麦が遅れることは無かったし忙しければ忙しいほど速く供されるようにも感じた。速い理由がしばらくしてわかった。駅前の蕎麦屋だからだ。私の卒論的に言えば「交通結節点」にある蕎麦屋だからなのだ。連絡船、鉄道、電車、バスの時間の合間に小腹を満たす蕎麦屋ならではの利点を生かす立地だからだ。また函館なりの官庁、銀行、商社が集中していてそれが出前の注文になっていたのであろう。その忙がしさ、活気が私には心地よかったのだと思う。
 就職して二年目、一人旅をしたときに小諸で「蕎麦ってうまいものだ」という蕎麦を食っても、それは本場信州の蕎麦だからであり、函館では「はし膳」の小腹を満たすかけ蕎麦時代が続くのである。
 「はし膳」には風呂屋の番台のような帳場がある。今でこそ人件費からだろう常に人がいるわけではないが、以前は必ず人がいて、食べ終わってそこに行くと金額を言ってくれて金を払った。レシートは無かった。この前、東京神田「まつ屋」にも帳場があった。一人客用のカウンターがきちんと用意されたのは市内でははし膳が速かったと思う。帳場、店、釜前、丼ものや仕上げ、出前、洗いが分担されていて無駄無く蕎麦が客の前に出される。カウンターにいると「蕎麦屋」を味わうことができる。
 刻み葱がバターを入れるような入れ物に入って卓に置かれている。自分で好きなだけ入れられるサービスかと思ったがそればかりでなく「速さ」の希求なのだろう。麺も以前はもっと細く、茹で上がりを早くするための工夫かと思っていた。少し太くなっていた。結節点として速さを要求してきた駅前の性格が変わってきたことと関係があるのだろうか。
 小ぶりのどんぶりに溢れんばかりの掛け蕎麦。40年前のファーストフードで小腹を満たして駅に急いだ。