端居

 車庫の車を出し、ブルーシートの上にテーブルを置き、ネットで見たHOW TO動画のとおり120番の紙やすりで研ぎはじめた。何かはかどらない気がして100番に換えた。心持ち削れてきた。とにかく古い塗装を剥がさなければならない。畳一枚分が恨めしい。そして「これは時間だな」と開き直りながらも頭の隅で「サンダー15000円購入」を思いながらもひたすら紙やすりを動かした。久しぶりにラジオを車庫に鳴らして削り出しを続けた。単調作業はすぐ昔を思い出させる。子どもの頃我が家ではこのテーブルの半分もない卓袱台に家族6人食事をしていたことを思い出す。親父の席が決まっていてその隣に長兄、次が次兄、そして父の対面の席に私、その隣が祖母、そして母が囲んでいた。大学生、高校生、中学生の男三兄弟が囲む食卓は思うだに狭い。他の家の食卓は知らなかったから料理や皿数が多かったかどうかはわからないが食卓が賑やかに思えるのはその狭さの故だったかもしれない。兄弟肘を触れあっての食事だったがその時は狭さは感じなかった。父は帰宅すると着物に着替えストーブの焚き口に座る。それに合わせるように末っ子の私が卓袱台を用意する。父は二合の酒で晩酌をしそのためだけの肴が用意される。イクラの醤油漬けなど作った最初は私たちも食べられるがそれ以降は父にだけ出されていた。季節の物にこだわって酒を飲んでいた。海の物山の物を当たり前のように母が毎日用意していた。私たちはカレーライスで喜んでいたが父の酒の肴はそれなりに羨ましかった。魚の煮付けは骨を面倒くさがる私が箸でつまめるところで飽きてしまうと、隣の祖母が残った骨の周りや背びれの所を「ここが美味いのよ」と食べてくれた。祖母には初めから煮付けの皿のないこともあった。祖母は山菜採りにまめな人で食卓に蕗やワラビゼンマイなど必ずあった。毎日の蕗のみそ汁に「また蕗か 」と言ったとき左隣の次兄のげんこつが飛んできたこともあった。

 三日かけなんとかサンダー購入無しに100番、180番、400番のやすりをかけ終えた。削りかすを布で拭き取ると美しい木肌の天板が表れた。

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 いよいよ明日はニス塗りである。研ぎ終えた成就感で晩酌が美味い。

  自粛とは我が意を得たり端居して   未曉

 あの食卓を囲んでいた6人のうち次兄と私が残り4人はあちらへ行ってしまった。