大根おろし入りとろろそば(1)

 子どものころ食べていたものを食べていれば病気にならないと言うことを聞いたことがあるが、私のそれは大根おろしだ。
育ち盛り食い盛りの男の子三人抱えて、公務員の安月給で毎日の食事を用意した母は大変だったろうと今になって思う。そんな安月給の中から呑むだけはしっかり呑んでいた父が、土地を借り、家を建てた残りを畑にしてまず植えたのが大根だった。トマトもあったし胡瓜もあった。毎年最初は絹さやが味噌汁になっていた。でも大根は年中畑に在った。冬には秋に漬物用を買ったついでに土の中に埋けてあった。それは全部無駄になることはなく伊藤家の人々の胃袋で消化された。つまり毎日食卓に在ったということになる。それは何かの取り合わせや、薬味のようにあるのではなく主役然として食卓にあった。
イカの声が流れればイカを食卓に呼び寄せたし、昨晩の残りのホッケの切り身もおろしを添えられて 立派な一品になった。祖母が採って来たきのこが味噌汁で出て来ると、おのおのがそのおわんの中におろしを入れて食べた。朝早く登校したくて母がまだ何かおかずを作っているのが待ちきれないときは、(唯一自分で決済できた買い物)通帳を持って隣の豆腐屋へ行って納豆を買ってきて、納豆を練り、大根おろしをあえて朝飯にしていた。ご飯茶碗のそばには、豆腐屋のおばさんの濡れた手で納豆1つと書着込まれた通帳があった。それも面倒なときは、麦飯を大根おろしと醤油だけでかき込むように食べることもあった。そのときだけは、母はいやな顔をしていた。
 私の亡くなった長兄は、戦後食べ物がないときと中学高校が重なり芋ばかり食わされた。その上、自分で何かするための金は、夏の暑い盛りにアルバイトとして芋ほりで稼ぐしかなかった。そこでも昼は芋を食わされた。芋だけは腹いっぱい食えた。兄は芋が嫌いになった。しかし、食い物に関しては「ほいど」という人種に属するかもしれない私だが、あれほど食べた大根おろしは嫌いにならなかった。主役になりえない大根おろしは、好き嫌いの対象にもなり得ないのかもしれない。
 そんな伊藤家の朝の食卓にとろろが出されることが多かった。少し深めの丼の中ほどまでとろろが入っている。当然、傍らにはすでに大根おろしが水分を絞った母の指跡まで残して山盛りになっている。父は、とろろの丼の中に箸で掬うように三回ほど大根おろしを入れ、醤油を入れてかき混ぜ食卓の中央にポンと置く。私たちは、麦飯の上にそれを掛け、流し込むように食った。母が「よく噛みなさいよ」と言う前にもうお代わりしていた。私はとろろの食い方としてそれが当たり前だと思っていた。