黒い薬(3)

 採用試験に受かったものの四月採用に漏れ、私が島牧村の教員に採用されたのは卒業した年の十月だった。祖母は認知症(当時の病名は違っていたと思うが)が重く寝たきりで長期に入院していたし、母も体調をくづして入院しているときの赴任支度になった。だからといって困ったわけではない。布団と当座の文房具と何冊かの本と着替えを兄が借りてきた小さな乗用車に積めば済んでしまう仕度であった。入院中の母に「明日行くから」「おばあちゃんには逢わないで行くよ」と言うと母は「いいよどうせおばあちゃんはわからないから」と言い「なんもしてあげられなくてごめんね」と言った後に、思いついたように「黒い薬持って行きなさい」と言った。
 次の日、着替えを入れた行李に暫く飲んだこともない、飲む人もいなくなった黒い薬の瓶を放り込むように入れて赴任した。
翌年二月に祖母は娘である母の顔も分からないまま逝った。
島牧で六年半勤め渡島に転勤になった。三十才になっていた。引っ越しの荷造りをしていたら、黒い薬の瓶が出てきた。一回も飲まなかったなぁと思った。そういえば二日酔いの時も盲腸で苦しんだあの痛みの時も思い出しもしなかった事に気付いた。黒い薬は瓶の底で完全に干からびていた。
 棄てることにした。棄てる時になってはじめて祖母や祖母につながる大切な物のあることに気づかされたのである。(終わり)