《私と蕎麦》(2)

 私の蕎麦食いのルーツは祖母にあります。
 母の母で山形出身。私より先に家族でした。父の応召、シベリア抑留、その中での樺太からの引き揚げ、母の病気と我が家のピンチの時にかけがえのない存在だった人でした。瞬時もジッとしていない人で、いつもなにかしていました。輪イカを裂く内職、山を歩いての山菜採り、薬草を煎じて薬作り、行事、季節にあわせた食べ物づくり…。全部、家族のためでした。今になって、この人の孫だったことの幸せを宝石のように感じます。
 この祖母に、山形にいる親戚から季節に送られてくる山形の産物もまたうれしく楽しみでした。柿、農作物の干物、穀類、そしてそば粉。当時の私には、柿しか印象はありませんが。
 私が学校から帰ってきて、雨の日か何かで所在なくしていると、祖母が丼の中に箸を立て勢い良くかき混ぜながら「食べるか?」と言って、見せてくれたのがそばがきでした。うまそうな色も形もしていなかったけれど、当時の私は常に空腹の状態で、いつでもなんでも食える子どもでした。特別おいしいとは思わなかったけれど、砂糖が少し入った醤油につられて食べてしまいました。
 山形の囲炉裏端で体験する素朴な味を、戦後と言う時代の函館で味わうことができていたのです。蕎麦の味と香りはこの時インプットされたようです。