牛はモウいない(2)

 放課後、生徒玄関を出ると、校舎の裏へ回る。北隅にある茶道室の窓下を曲がると途端に田舎の風景になる。草茫々ではないけれど校舎の前面のきれいに手入れされたたたずまいではない。池のようなものはあるが整備されているわけでもない。しかし田舎感を醸し出しているのはそればかりではない。牛舎のせいだ。途中で傾斜角が変わる牛舎特有の赤い屋根が目に当然飛び込んでくるからだ。そして牛舎の前に繋がれた二頭の牛が見えるからだ。糞尿や飼料の匂いとともに…。私は誰がいるわけでもないその牛舎に入って行く。土間があり、左に牛舎、右が居住部分になっている。土間の奥に木の水槽があり水道の蛇口から水が途切れ途切れだが休むことなく水槽に音をさせて落ち、水槽の縁から溢れた水が排水路へと流れている。私は学生服の袖をまくり水槽に手を入れ数十本の瓶の中からゴム紐で首に「伊藤」と書かれた小さな木札を付けられている角サンの瓶を取り出す。その瓶には二合の牛乳が入っている。鞄の中の空瓶に木札を付け替えてそばの棚に置き、今水の中から取りだした瓶を傍らの布で拭いて自分の鞄に入れる。お金も箱か何かに入れたように思う。たしか二合で十円だった。誰に断るわけでもない。そして私は下校する。
 函館東高校は戦後すぐ函館市立中学を前身として発足した新制高校だが、食糧難と言われた中貧しい家庭が多かったらしく、当時の校長が生徒の健康増進のため、十勝からホルスタイン二頭を購入したということだ。当初は乳牛飼育部などもあり生徒の手も借りながら飼育運営されて一時四頭の時もあったようだ。しかし農業高校でもないので生徒による飼育は難しくなり、私が入学した頃は用務員さんの一人が奥さんと二頭の飼育をしていた。多いときで教職員、生徒60名近い牛乳購買者がいたこともあるという。そのお金は野球場のバックネットを設置したり、備品購入に役立てられたりもしたようだ。(続く)