牛はモウいない(1)

      「牛はモウいない」
「牛はモウいない」これは60年前函館東高校新聞局が発行した「青雲時報」の裏面記事に当時の局長が付けた見出しである。この局長私の一歳年上ながら大人というか老成しているところがあり、高校ジャーナリズムのなんたるかも考えられない幼さで入局した一年生の私たちには「つきあってくれた」感じだった。彼が当時を振り返る文章に「一年生の新局員が入ってきて、局員同士の融和を支えていくための活動として種々のレクリエーションも重視することにしたのですがこれが新聞局本来の活動と勘違いする一年生もいたようです」と私たちのことを書いているほどだ。彼は高校二年生ながら先生たちと議論したり若い先生とオフタイムでの趣味につきあったりしていた。「昨日の夜○○先生と理科室で写真(現像引き伸ばし)やっていた」などと話していた。そんな男だったからか見出しにもこんな親父ダジャレを平気で載せた。それ以前にも「南国土佐を後にして」というペギー葉山の歌が流行ったときは卒業特集記事に「雪の校舎を後にして」と言う見出しを付けた。老成のこの「岩さん」70才の声を聴くか聴かないかで逝ってしまった。
「牛はモウいない」何故、農業高校でもなく函館東高校などと校名からして明らかに地方都市の普通高校の学校新聞にこんな見出しが載ることになったのかである。
 私の時代高校受験は小学区制だったので私も選ぶことなく二人の兄と同じ函館東高校に入学した。すぐ上の兄とは三つ違いだから三月卒業したその次兄の後を追うように四月に入学した。学生帽も徽章も白線も間に合うものは全てお下がりで高校一年生はできあがった。もう一つ引き継いだものがある。サントリーの角瓶、いわゆる角サンの瓶である。お下がりの手提げ鞄にこれだけは新しい教科書やノートを入れ、そこに角サンの空瓶も入れた。鞄への詰め方にもこつがあり兄が教えてくれた。(続く)