伊藤郁子遺作展-1

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伊藤郁子さんの遺作展を覧て来た。

 伊藤郁子さんとは高校の先輩ということのほか、私の亡き母が同性同名で少し親しみを感じていたこと以外にほとんど接点は無い。一年に一回赤光社行動展の会場で一目で伊藤さんの筆によるものだとわかる作品に出会うだけだった。しかし、私の手元にIkukoと言うサインが入った数枚の墨色のスケッチがある。

 いきさつは四十数年前にさかのぼる。

 1976年1月、私が函館市立東高校時代に仲間と部活として年に数回発行していた新聞「青雲時報」が創刊100号を迎えることとなったことを聞き、無謀にも在函していた当時の仲間や顧問だった先生とともに創刊号から100号を網羅した縮刷版を発行することを企てた。アパートの一室を借り週一回ほど集りながら欠落号探しや索引作り、グラビア写真の収集、解説記事などの一方、資金調達や発刊後の販売など苦労も多かったが高校生に戻ったかのように嬉々として寒いアパートの一室に集まった。

 ある日の編集会議で当然のように「表紙はどうする」という話になったとき、第一声編集委員長の岩佐が「伊藤郁子さんに頼むべ」といいだした。私たちが装丁は?デザインは?誰に頼むにしたって画料は?と考え出す暇も与えずだ。私は展覧会で1,2度見ていたが、中には我々の先輩で画家であることはわかっていたけれど、作品を見たことのない者もいたはずだ。岩佐は東高校時代、新聞局だけでなく美術部に籍を置いていたこともあり、伊藤郁子さんとは旧知の間柄らしいということが大きな説得材料となり、同窓の画家の絵で表紙が飾れるなら…、画料もそう高くないかも…程度の考えであっさり決まった。(続く)