アサギマダラ(2)

 蝶はそれぞれに美しいが、アサギマダラは他の派手な蝶のように鱗粉を光らせるでもなく、虚眼をちりばめてもいない。色数も少ない。前羽根は黒い縁に白っぽい涙型の斑模様を並べ、後ろ羽根は同様の白っぽい模様を褐色が縁取っているに過ぎない。「地味」の美しさである。よく見ると白っぽい部分が薄い青色ということで「浅葱」の由来らしい。よく見なければ分からない色という奥ゆかしさも美しい。
 アサギマダラは薊の花の中に口吻を伸ばして蜜を吸っていた。勝軍山にアサギマダラ狙いで来たYさんがここぞとばかり近づいて十分撮した後なのに、私ごときがカメラを近づけても鷹揚に構えて逃げようともしない。「秋の蝶」と言えば「哀れ」を本意とする秋の季語だが、この時のアサギマダラは一点の染みも破れもなく若々しい個体だった。その日は帰り際にもう一頭見ることが出来た。杉の木に停まって休んでいるとのことで指さされたが、私の眼では見ることが出来ない。しかし、それが飛び出したとき青空を背景に見ることが出来た。浮かぶように飛び出した。ゆったりと羽根を動かし、風に身を委ねるように飛んでいた。波のように飛び、やがて鷲鷹が上昇気流を捉えた時のように大きな円を空に残しながら杉の木の向こうへ飛んでいった。
 北海道最南端の松前。今、このパソコンのトップ画面にいるアサギマダラは、海峡を渡る英気をあの薊で蓄えていたに違いない。無事に渡り終えていれば、あれは20日前のことだから今頃は鳥海山のあたりかもしれない。アサギマダラの苦労を余所に勝手な想像は膨らむ。
 横津岳で捕獲しマーキングしたのは工業高校の生徒ということだ。工業を学ぶ生徒がアサギマダラの生態の神秘に触れるということもすばらしいことだと思った。