年賀状(1)

 年賀状を考える時季になった。
 手元に昭和54年、後志から渡島椴法華に転勤して3年目からの年賀状が残されてある。島牧を出る2年前くらいから年賀状を意識し始めたらしい。高校時代の葉書大のゴム版、木版の記憶がある。気になっていた女子に出すための年賀状だったこともある。出す相手も限られていたし枚数も少なかったが、高校時代に覚えた謄写版の簡単な印刷等も使い、手作り感を持たせた賀状にこだわった。
 島牧赴任当時の年末は評価など学期末の忙しさで年賀状どころではなく、終業式が終わると午後には函館に向かって車を走らせていたから、その頃は実家に帰ってから父が買った年賀状をもらって間に合わせていた。
 それでも、先生仲間が増え、教え子からも賀状を貰い、学生時代の友人とも簡単に逢えなくなると貰う賀状も増てきて、その分出さなければならない年賀状が100枚近くになった。だからといって印刷屋さんに頼む気はさらさら無い。浪人時代、高校のクラブの同窓会を作り、その機関紙発行のために謄写版を持っていたし、切り抜きシルクスクリーン印刷も出来たので、好きなイラストとレタリングを楽しみながら年賀状作りを年末に位置づけるようにした。シルクスクリーンのための部材や謄写版用の色インクなど島牧では手に入らないものが有ったから帰函してから年賀状作りをするのである。年末、夜はそれぞれ帰省した友達と飲み歩き、昼は年賀状作りにあてられた。そして12月30日に島牧の住所で函館から賀状を投函していた。
 函館にいるので、島牧の私の住まいに届く私の年賀状は元旦に見られない。いつも正月10日頃に島牧に帰ってからもらったのに出していない方に年賀状を出していた。みんなが正月気分をやっと抜け出したころに間の抜けた年賀の挨拶だったと思う。