パンダ

 晩酌をしながらテレビを見ていると、何度もそしてどこのチャンネルも「パンダ」である。それこそ老若男女みんなが「かわいい」と言い、一人無関心さえ許されない怖さも感じるが、パンダが「かわいい」ことには私も異論は無い。
 嬉しいことがひとつある。この「かわいい」という言葉がテレビの中でインタビューに応えていた若い女性に、サラリーマンに、おそらくその対象であるパンダを観ているみんなに、そして私に湧いた共通の思いを表現する言葉としてみんなを繋げたことである。今まで「カワイイ(とくに若い女性が言うときは私にはカタカナで聞こえる)」と言う言葉の広がりについて行けず、これは「カワイイではなく不思議というべきだろう」とか、「これは便利だというべきだ」などとぼやいていた年寄りには自分の寝床で寝られるような安心感を覚えたのである。
 言葉は意味も使われ方も時代によって変わって行くものだと言うことは解る。だから一人でぼやいていても一々異を唱える愚はしない。その場に合わせて自分の言葉に翻訳して理解してきた。しかし今回のパンダの「かわいい」は翻訳の手間を省いてくれたし、外国人のように遠い存在に思えていたカワイイ語人種を近づけてくれた。
 「パンダはしぐさがかわいい」…。しぐさ…日本語はすてきだ。