国技

 相撲は日本の国技である…という。母国イギリスではサッカーを国技と言うのだろうか。南米諸国は国技などと言う言葉も要らないくらい国民にとってサッカーは大切なスポーツのようだ。
 私達子どもの頃は何もすることがなければ、相撲をしていた。好きな力士は千代の山朝潮、北葉山だった。栃錦若乃花が好きなやつが居て代理でその四股名を名乗り、草原で、体育館でやっていた。四股を踏み、にらみ合って立ち合った。下敷きの軍配がひるがえり、ベルトという回しを右四つ右下手から投げようとして、相手の左上手投げで負けた。分厚いウソコの賞金に手刀を切ってわしづかみ、勝ち名乗りを受ける。
 折りから普及し始めた白黒テレビで食い入るように観ながらそれらを覚えた。
 しかし、今子ども達の遊びの中に「すもう」はあるのだろうか。見たことがない。子どもがやらなくなった国技って何だろうと思う。外国籍の力士が横綱大関を占め、野球賭博が露見したからどうのこうの言うのではない。W杯に参加した多くの国々でストリートサッカーやる子どもの姿を、子ども時代の相撲をしていたときの私と重ねてみて考えるのである。私の中の相撲は何処へ行ったのだろう。私は、中学でサッカー部に入った。それから相撲ごっこはしていない。身体の都合でサッカー部は止めたが、サッカーは大好きだった。高校生の試合、一般の試合はほとんど見ていた。試合会場のグランドに本部のテントに関係者や審判がいて、あちこちにチームがアップしている以外、観客と呼ばれるのは私一人しか居ないこともあった。相撲はテレビでは観ていたが、次第に力士の名前も覚えようとしなくなり、今では観ることが無くなった。
 私の中の相撲文化は完全に崩壊している。もし、私のような人間がもともと多くなったら(そうなりそうだ)日本の相撲文化は終わらざるを得ない。絶滅危惧文化の道を進み出す。
 南アフリカで、東京の大画面の前で、そして私を含め自分の家のテレビの前の沢山の人たちは、日本の相撲文化の危機が報じられる中、外国のサッカー文化に熱狂していたのである。