w杯終わる

 朝早く起きてW杯サッカー決勝戦を見た。夜は民放の総集編を見た。明日NHKの総集編の録画を視てw私のW杯が終わる。
 当たり前のことだがゲームは結果だ。開会前無名だった選手が海外からオファーが来る選手になる。強いと言われるチームが必ずしも勝つわけでもない。批判を浴びていたものが勝てばもてはやされ、信頼されていたはずの監督が負ければ帰国を待たず解任が取り沙汰されされる。いくら「僕の得点はチームみんなの…」とは言っても、そのチームみんなに賞賛は平等ではない。出場機会の無かった選手にオファーが来ることはない。そして、終わってみれば優勝したスペインは「やはり強かった」のである。
 日本の選手は異口同音「チームが一つになった」と16強になった理由を言う。みんながそう言い、報道にも美談扱いで取り上げられると「そうなんだ」と思う。しかし、その精神性は激しい競争と身体を酷使して鍛えたサッカー力に裏打ちされたもので「神風」ではないはずだ。優勝したスペインのGKの涙は、どのチームにも勝ちたい、優勝したい、そのために「チームでこそ…」という思いがあった証だ。そして、優勝したスペインと日本の差は歴然としている。「サッカー力」の差だ。正確さ、意外性、選手個々の試合観等々。
 次のW杯に向けて初めから、チームワークはどうだ…とか、キャプテンシーがどうか…ハングリー精神が足りない…根性がどうかなどを精神的なものを期待するようなサッカーになって欲しくない。次の日本代表が負けたとき、今回を引き合いに出してチームワークが足りないなどと言っていては日本のサッカーに将来はない。世界に追いつくには向上すべきはサッカー力でなければならない。精神力は強要されるものではないし、自然発生的に勝利に向かって発揮されるものだ。「神風」は無い。
 サッカーを応援する側としてもサッカー力を視る目をきたえなければならない。長谷部ゲームキャプテンも言っている。「Jリーグを観て…」
   脱力の夜涼とともに眠りけり   未曉