2013/10/13・日吉サッカー場

子どもの歓声に混じってホイッスルも聞こえる。日吉のサッカーグランドに降りていくようだ。とすれば、さっきの分岐を左折すれば七五郎沢のゴミ処理場だろうと思われ、自分の位置が定まった。
 サッカー時では高校女子サッカーの全道大会が行われていた。子どもの声と思ったのは女子高生の声だった。胸の校名にSAPPORO・HOKUTOとあるが、対戦校ははっきり読めない。函館ではないようだ。私は応援チームがなくてもサッカーの試合は楽しめるから、散策を中断して、芝生に腰を下ろしペットボトルに口をつけながらサッカー観戦をすることにした。私の後ろには選手のお母さん達が陣取って盛んに声を挙げ拍手して応援している。HOKUTOの選手を応援しているのだからきっと札幌から来ているのだろう。どこかの少年団も観戦している。練習なのだろう。全員ユニフォームである。
 私のサッカー暦は長い。正しくはサッカー観戦暦である。テレビのないとき(テレビがあってもサッカー中継など考えられなかったとき)からだから60年になる。観戦した試合は函館の中体連のサッカーか高校サッカーであり、一般のチームの試合しかなかった。バリバリの野球少年だった私がサッカーを見るようになったのは、兄の影響である。函館東高校で次兄はサッカーを始めた。そして当時の函館東は強かった。兄が高二の時、国体で全国三位になった。その時は兄は補欠だったが、翌年も全道で優勝し全国大会へ行ったほどである。その上私も通うことになる歩いていける函館東高校のグランドがその試合会場になることが多かったから、兄の試合も見たかったこともあり、ついでに他の試合も見るようになった。
 そのころは全道選手権のような規模の大会でも応援の人は少なかった。地元以外のチーム同士の試合など、一般の人は私一人の様なときもしょっちゅうあった。少年サッカーもなかったし、女子サッカーも勿論無かった。ましてや札幌からお母さん達が応援に来るなどとは…。兄が「今に日本にもプロのサッカーができるぞ」と夢として語っていた。時の流れを背中のお母さん達の賑やかさの中で思っていた。結局試合終了まで見てしまった。三位決定戦だった。SAPPOROHOKUTOが勝った。スコアは遠くて見えないし最後まで相手チームも分からなかった。決勝戦にも興味があったがすぐ始まる風でもなかったのでリュックを背負った。
 そこからは日吉町の住宅街を産業道路まで下るだけだ。このあたりも人それぞれの暮らしを包む住宅が整然と並ぶ。余所者にはとっつきがたいいわゆる住宅街である。山の手でも感じた浮揚感は下り道には邪魔にならない。頭の中の地図にあるが目印がない。下れば産業道路には出るだろうと目見当で辿った道がぴたり車を停めた所に連れて行ってくれた。自分の方向感覚の良さを自画自賛して散策を終えた。