私はサッカーサポーター(1)

 私のサッカー暦は長いといってもプレイヤーとしてではない。サッカーサポーターとしてである。もちろんその頃はサポーターなどという言葉も無かったが。
 サッカー観戦の始まりは中学生の頃からだからもう60年も前になる。当時の函館には実業団のチームがいくつか在る程度で、サッカーの試合と言えば高校生の試合が中心だった。実業団のチームも高校のサッカー部の卒業生がメンバーだったから、函館の片隅でサッカー好きが集まって試合をしている雰囲気が強かった。そして野球以外のスポーツに観戦者などいない時代であった。土埃のグランドで見ているのは私一人という試合が幾度もあった。ラインズマン、今で言う副審も間に合わせが多く、他チームの選手が私服のジャンパーか何かを着て旗を振っていた。
 私がサッカーに興味を持ちだしたのは私のすぐ上の兄が中学時代からサッカーをやっていて、兄が入った函館東高校サッカー部が国体の全国大会で3位になったり、次の年も北海道代表になったりしたせいもある。また私も通うことになる、歩いて10分のその高校のグランドが広く、道南のサッカー各種大会の試合場になることが多かったことも、私の試合観戦を多くした。
 中学校時代にサッカー部に入った経験もあるが、2,3年後に結核になるくらいだったから体力がなかったのだろう、半年たった頃に止めている。縫い合わせた皮の中にゴムのチューブが入っており、そこから出ているゴム管に空気入れで空気を入れ、そのゴム管を紐で縛って皮の中に畳み込む。畳み込んだ口を皮紐で靴紐を縛るように専用の紐通しを使って綴じ合わせてサッカーボールになる。今では考えられないボールで、ヘディングの時額に綴じ目が当たろうものなら涙が出るほど痛かった。使い終わったら家に持ち帰って縫い目に保革油を塗り込むことも課せられた。入部した一年生の仕事だった。それがつらくて止めたのかもしれない。しかしサッカーは嫌いにならなかった。
 家の前で毎日のように隣の英治君とボールを蹴って遊んでいたし、高校二年では結核で一年遅れて復学した後も、体育の授業は見学させて貰いながら、昼休みになると率先して体育教官室にサッカーボールを借りに行って先生方に苦笑されていた。そして試合さえあれば観戦していた。(明日へ)