埋け薯や雪無き冬を浅眠り   未曉

 子どもの頃は雪が降ってほしかった。雪は友だちだった。若い頃は職場の仲間とのスキー旅行で幹事を務め、毎シーズン決めた日程、スキー場の積雪が増えることを期待していた。しかし年齢が高くなるにつれ、朝の始業前に時間を取られることや、腰の具合が気になりだした。雪かきは好きな方だが連日だったり、湿った雪だったり大雪だったりすれば億劫になってきていた。

 それが今冬は2回、それも中程度の時間と疲れの雪掻きで済んでいる。このままでは経過しないだろうが、車で走るのも気が楽だし素直に嬉しい。

 それなのに昨夜は「少しだけ雪降らないかなぁ」と少雪乞いしながら寝たのである。

 吾が町内会は20日が廃品回収日になっている。我が家から20Mほどのところの集積所に置けば業者さんが持って行ってくれる。今回の我が家の廃品は、正月のせいもあるだろうが、段ボールや紙類を詰め込んだ段ボール箱が4個と、古新聞の束が2個計6個ある。手が掛かるように縛っていないし、重いから一個ずつ運ぶしかない。6往復しなければならない。例年なら雪掻き用のママさんダンプに3~4個載せ、雪の上を滑らせて楽に運べるが少雪で砂利路面が出ている今年はそれができない。たかがそれだけのために「少雪乞い」をしたのである。

 そして今朝、雪がうっすら降ってくれた。霜よりも少し濃い程度の雪だったが廃品を載せたママさんダンプは滑らせることができた。ガラガラと音はうるさかったが2往復で済んだ。雪が降らないことをありがたがっている日頃の自分に対しても、雪が降らないことで困っている人にも不謹慎な「少雪乞い」だ。今日「大寒」。冬はこれからだ。罰が当たるかもしれない。