私的雪掻き考(1)

 どこでもどなたでもそうだろうが雪掻きが始まると雪掻き独特の向こう三軒両隣との距離感が気になりだす。
 私の家が接する道路はコの字型で市道に繋がる。この道路は公道ではないので市の除雪車はよほどのことがない限り入らない。私道あつかいの住民の共用道路だから雪掻きは住民がやるしかない。高齢、病弱などがあるからそれぞれの事情にあわせてそれぞれが対応している。私はあまり理由付けしないで好きだからやっている。必要ないと思ってやらない人もいるし、出来ない人もいるが重大な問題にはならない。
 まず、向かいの家との間の雪掻きは6Mの道路幅をどう案分して雪掻きするかで考えた。お向かいさんは私が卒業した高校の先生を退職された人で、私が卒業してから母校に赴任したので直接教えられたことはないが、私の最も苦手な数学の先生と言うこともあり、同じ同窓会に所属もし先生と生徒の関係はぬぐえない。そんなこともあり、最初はこちらが若いのだからと共用道路幅一杯雪を掻いた。しかししきりに恐縮された。考えてみれば毎週のようにスキーに行く元気な先生にかえって失礼のような気がして我が家側四分の三を掻くことにした。しかし、いつも微妙な心残りのようなもの感じながら掻き残した四分の一を眺めてしまう。そのうちに先生が「いつも家の方までやってもらってすみません」と私に面はゆい思いをさせながら雪掻きを始めるのである。
 左隣とは境界にあたる電信柱から隣の家側に雪掻き一シャベル分入り込んで掻くことにしている。他人行儀とお節介の境でもある。
 右隣の奥さんは一人暮らしでその向かいは空き地になっている。奥さんは膝が悪く、歩けるが町内の会合などでは椅子がなければ参加できない方である。そこの道路は私たちが市道である表道路へ行くときに使う部分だし、勝手に私が雪掻きをさせてもらっているが、ここでも奥さんに恐縮されてしまう。恐縮されても膝の悪い奥さんにさせるわけにはいかない。「やれるうちしかできないから」と言いながらやらせてもらっている。たしかに現職の頃の出勤前はたいへんだったが、今では時間を掛けてやれるので良い運動になる。奥さんからは時々「親戚からもらったの…お裾分け」などと気を遣ってもらう。遠慮なく頂くことにしている。(続く)