年の市

 昔、年の瀬になると五稜郭の電停、行啓通の入り口近くに年の市が賑わっていた。スーパーでしめ飾りが売られるようになる前である。種や苗は夜店で、おでんは祭りの屋台で、正月の物は年の市で…。時季の物はその時期になると決まった場所に決まった人が売ってくれた。今は外国の習慣を真似たものまで入り込んでスーパーの戦略として押しつけがましく売られる。偉そうなことは言えない。その先取りチラシで時季の行事を教えられる始末のこの頃だ。
 小学生のころ年の市でアルバイトをしたことがある。
 夕方になると家に来て、父の帰りを待つように上がり込み、父が帰ってくると父の晩酌の相手をしていたおじさんがいた。酔っぱらうわけでもないし長居するわけでもないけどしょっちゅう来ていた。戦後のことが少しわかるようになったこの年になって考えると少し理解もできるが、不思議な不思議なおじさんだった。家には海の物とか山の物とかおじさんの奥さんの作ったものとかぶら下げてくることはあったが私たち子どもに手土産を持ってきた記憶はない。 
 ただアルバイトをさせてくれた。そのアルバイトの一つが「年の市」である。普段何を商売にしていたかは知らなかったがその時期になると「年の市」の店を出し、我々兄弟を働かせてくれた。せいぜい水木の枝に舞玉を糊付けするとか、安い注連飾りに水引を結ぶとかである。店の前の雑踏の中に出て「いらっしゃいませ」と一人前の売り子になったつもりでやったこともあるが、どうやら子どもであることを利用された節もある。
 兄たちはともかく小学生の私に何ができるわけではない。どうやらその駄賃と称して私たちへの「お年玉」ということだったのではないかとこの頃思う。父の「働かざるもの食うべからず」の考えを反映していたのではと考えるといっそう納得できる。
 何にも知らなかった私はただ面白がって「いらっしゃいませ」を師走の人ごみの中に叫んでいた。
    年の市善き物陰の股あぶり   未曉