雪・外遊び

子等よ子等よ雪友ならん外で呼ぶ  未曉

  先日の新聞に「小中学生の体力低下」「全国テスト・道内中2女子最低」の見出しのトップ記事があった。記事を抜粋すると「スポーツ庁は原因としてスマートフォンの普及などに伴い、子ども達の運動時間が不足しているなどをあげた。」「北海道は小中の男女いずれも全国平均を下回った」「運動の習慣についての質問では、一日における運動時間も軒並み下落した」と書かれていた。

 「北海道の子どもは体力が劣っている」という結果だが、では平均を上回れば良いのか…。全国平均自体が年々低下している中でのそんなデーターに何の意味も無い。。私が教員になった50年前にはもう話題になっていた。その時々原因が問われ対策が取られたのだろう。しかし今、半世紀改善されることなく右肩下がりに体力が落ちているという「小中学生の体力低下」をさも解決できるような問題として提起することに何の意味があるのだろう。そして今回もおきまりのようにスポーツ庁とやらが、「学校で効果的な…」「地域社会全体の…」と50年来効果の無かった対策をお経のように言い出した。空念仏である。
 数年前まで私は「子どもたちの体力(知力も…)を育てるには「外遊び」を取り戻すことだ」と思っていた(今でも思っている)。しかし今の日本の子ども達の生活に外遊びの時間空間は無いし、学力偏重、商業主義、過保護…の大きな流れに「外遊び」は死語になっていく実感の方が強い。諦めた。そして、これからの日本の子どもは体力が乏しいと思うことにした。ある意味新人類としてのおつきあいである。
 子どもの責任でないことは確かだ。日本はどこへ行こうとしているのか怖ろしい。