私の五稜郭公園(1)

私の五稜郭公園
最近五稜郭公園の外壕の石垣が崩れ今年の野外劇は壕は使えず奉行所横の広場で開催されるそうだ。
 私が近くに住んでいた小学生の頃は、石垣の崩れはあちこちにあり、そこは私たちの格好の遊び場だった。今で言う「親水」場所だったのである。鮒を釣ると言って針だけは釣り針だったが、その他は棒きれに縫い糸だったりの釣りだった。ゴダッペと呼んでいた大人の指ほどの小魚が釣れた記憶はあるが私に鮒が釣れたことはなかった。友だちの靴を隠したり隠されたり、暑い夏に足を濡らしたり、ただ上ったり降りたりするだけの遊びだった事もある。 そのころは既に国の特別史跡になっていたが、柵が巡らされたり注意されたりしたことはなかった。学校から「危ないから五稜郭公園の石垣で遊ばないこと」などと言われた覚えもない。花見時酔っ払いが濠に落ちたのは何度も見たが、子どもが落ちて大きな事故になったことも聞いたことはなかった。
 良い時代だったともいうが、社会に観光とか歴史的価値とか、他人の子どもの危険とかへ関心やお金を回す余裕が無かった時代だったのだろう。
 五稜郭公園が賑やかだったのは花見時とそれに続く小学校の運動会シーズンだった。戦後のベビーブームで児童数が多いのに町中で校庭の広さが十分でなかった小学校は、五稜郭公園の広場まで来なければならなかったのである。普段は、鍛冶村に住んでいた人の通り抜けに利用されるか、日曜日私たち近所の子どもたちの遊び場になるだけであった。夜などはよっぽど勇気がある人でなければ通り抜けもできないほど暗く寂しかったはずだ。