我が家大整理(後)

 本の廃棄は心が痛む。
 4,5人の詩人の一,二扁の詩に憧れて購入してしまった全集《日本の詩》をはじめ日本の歴史、地球大紀行、文学全集などなど本の大切さと同時に読み切っていないふがいなさも感じながら棄てることにした。ふがいない自分にもうふがいなくなる時間はない。購入したときはきっと「オレの部屋には全集があるぞ」と言うような内なる見栄がその動機だったのだろう。初給料で買ったカメラで写しまくった子ども達や学校行事、家族の折々のスナップなどのネガフィルムは「資料性も高いのに」と呟きながら全部廃棄することに決めた。
 夫婦二人合わせた書籍類は、片手で持てるくらいの重さにして縛ったら、50個近い数になった。子ども達の読んだ絵本も漫画もあるが、子どもが棄てるなというのでとっておくことにした。
 私の本を入れていた教員住宅時代の靴箱も、月のクレーターに家族中で感激した天体望遠鏡も健康器具も粗大ゴミになる。妻は自分の物、子どもが小さかったときの衣類、家具、食器など棄てるにはもっと複雑だったかもしれない。ややもするとすぐ思い出話になる。「これはやっぱり棄てられないとっておこう」と一つでも「もったいない」気持ちが勝ってしまうと、心のモードはすぐ「とっておこう」モードになってどこになら入るあそこなら置ける…と元の木阿弥に突きすすんでしまう。
 物を棄てると云うことはとてつもないエネルギーを必要とする物だと云うことがわかった。体力的な意味だけでなく精神的な思いは高齢になればなるほど複雑になり乗り越える負担は大きな物になりそうだ。精神的にも体力的にも余力のある内にやっておくべき事だ。
 市民として手引きを見ながら第二のゴミ分別関門を通した結果、棄てられることになった戦果は、車を外に追い出して車庫を占領している。縛られた本、可燃ゴミ、不可燃ゴミの袋、粗大ゴミ数点…。幸い天体望遠鏡とクリスマスツリーは貰ってくれる人が現れた。物を棄てるという殺伐とした心が続いた中で、少し嬉しい。
 小屋裏部屋に十分なスペースが出来た。本の重さから解放されただけでも我が家が少し浮き上がった感じさえする。その落ち着いた軽くなった空間に私のベッドを置いた。