4月

 私の社会人としての出発は4月1日ではなかった。他の仲間達が勇躍初任地で教員としての初出勤をしているころ、私は行き場所のない社会へ放り出されたような気分で自宅にいた。伝手を頼って空きや不足のある学校に頼んでもらおうかとか、教員不足だった首都圏へ行かなければならないかと覚悟を決めかねていたりした。当面自分の食い扶持くらいは稼がねばならない。アルバイト探しを始めようとしていた。私の四月一日は半年後の十月一日だった。
 その後三十数年の教員生活だった。
  かの日々は四月初めの備忘録    未曉