春惜しむ

  高校から大学まで学生時代毎日のように時を過ごした堀田孝が急逝した。3月来函したときは飲みかつ語ってかの日々が甦ったようだったのに…。
 その時「この頃こんなことをやっているんだ」と言って、流れて行った私のなじみのスナックの薄暗い光の中で小さな紙切れを見せてくれた。丘珠からの飛行機が函館空港に降りる時の感慨が短歌になっていた。生まれてから大学を卒業するまで育った函館に寄せる思いは「釧路人」になったが故に強いものがあったのだろうと思う。その時は、「へぇー堀田が短歌をやるようになったんだ」という思いが強く、「またこの次」を疑わなかったので上五の「臥牛山」しか覚えていない。
     3月25日堀田来函
   春灯しかの友歌を詠む人に   未曉
 
 北海道では教員になれないかもしれないと二人で語らい神奈川の教員採用試験も受けた。試験会場は札幌だった。受験前夜薄野で飲んだ。北海道から落ちてゆくような思いからか飲み明かし二日酔いで受験した。それでも神奈川はよほど教員不足だったのか二人とも採用通知が来た。結果的には二人とも北海道の教員になれたが…
「堀田、あの日の酒は忘れないよ」
     5月6日堀田急逝の訃報
   惜春や馬鹿な日々ゆえいとおしき   未曉