雪五尺

 実際に雪に埋もれようとしている我が家そして我が身を句にしようと「庭の木のみな溺れをり…」までできた。手入れの悪い庭木のうち躑躅シャクナゲなどは八割方雪に埋まり、木蓮ライラックなどの木も枝という枝に重そうに雪をまとわりつかせている。屋根から落ちた雪は溶ける間もなく、その上にさらに降り積もって私の背丈ほどになっている。ふと下五「雪五尺」が思い浮かんだ。「庭の木のみな溺れをり雪五尺」。調べとしても良い。ちょっとの間「一句できた」と思った。しかし、なぜか違和感がある。一句にするには何か憚れる。「雪五尺」が一茶の言葉を借りているからだけではない。庭木が溺れている状況に「雪五尺」に感じる暖かみや包容力がそぐわないのである。
 先祖代々豪雪の中に閉じ込められてきた「雪国」の人が感じる「雪五尺」と今年たまたま大雪に降られた新参者が実感した「雪五尺」は違うのである。(つづく)