蕎麦の旅(2)

蕎麦の旅の途中こんなエピソードがあった。
山形県村山市に当時全国に名の知れた「美味しい」という評判の蕎麦屋があり訪ねた。腹を空かして開店と同時に暖簾をくぐった。すぐ後に女性二人に支えられるようにおじいちゃんも入ってきた。この三人連れも開店を待っていたようだ。感じとしては、蕎麦好きのおじいちゃんを娘さん達が連れてきたようだ。何度か来ているようだった。
出された蕎麦は啜るという食べ方のできない蕎麦である。山形に入って酒田、月山と山形の蕎麦はこれだと言わんばかりの田舎蕎麦の三軒目。蕎麦の薫り、風味はさすがだが、口の中のもそもそ感は好みではない。舌触り、歯触り、喉越しに蕎麦の美味しさが味わえなくなってしまうからである。小腹を満たす蕎麦ではない。しっかり心して食べなければならない食事なのだ。ふだんなら一気に食べてしまうのにこの蕎麦には休憩が必要だ。
何気なくおじいちゃんを見ると…。
 胡座をかき、柱に背を預けて小さく見えるおじいちゃんが口をもぐもぐさせている。目を細めているのかつむっているのか全神経を口に集中させて蕎麦を楽しんでいた。娘さんらが「うんまいがい」と訊くと「うん、うん」と返事をしているのか蕎麦を噛んでいるのか頷いている。畳一枚離れたところに蕎麦好き二人がいて、片方はがんばりがんばり戦うごとく食べ、片方はこの上なく美味しいと云う長閑な顔で食べている。おじいちゃんがどれほど美味しそうに食べても私の口の中の田舎蕎麦はもそもそしているし、私がここで箸を投げ出して残して帰ってもこのおじいちゃんになんの意味も持たないのである。同じ蕎麦なのに…。』