南瓜ご飯(1)

 この世に生を受けて記憶にある最初の食べ物は南瓜ご飯である。どう食べたか、どんな味だったかは記憶にない。湯気の中、黄色く賽の目に刻まれた南瓜が散りばめられた真っ白いご飯が目裏に今も残っている。わたしの「食欲は目から」はこのときすでに始まっていたらしい。このとき釜の蓋を開けたのは母ではなく、叔母さんだったような気がする。多分4才頃のことだと思う。
 父を捕虜として戦争にとられたまま終戦を迎えた私たち一家は、ロシア兵に殺された長兄のお骨だけを抱いて、混乱の樺太からやっと引き揚げてきた。そして父の兄姉たちが住んでいた歌志内でシベリア抑留の父の帰国を待った。母と、祖母と残った男ばかり三人の兄弟は着の身着のままで叔父の家に身を寄せた。長男をソ連兵に殺されたばかりの傷心の母や幼かった兄弟を親戚の人たちは本当に良くしてくれた。
 末っ子の私は我が儘を言わない子、泣くなと言われれば無理して泣き止む子だったらしい。ソ連兵に追い立てられ豊原、真岡、大泊などを転々としながら引き揚げ船を待つ人々の群れの中で私は「良い子」でなければならなかったし、その期待に応えた子だったようだ。そのせいか3才くらいの記憶能力のせいかどうか、引き上げ時の混乱も、兄の死も、勿論それ以前の樺太のことについても何も記憶がない。母は兄の死のことを決して語らなかったし私も訊かなかった。当時のことは、折に触れて母と祖母が話していた断片をつなぎ合わせ、その後書物で得た状況を重ね合わせた想像で補うしかない。もっとちゃんと聞いておくべきだったと今になって悔やんでいる。(続く)