私的雪掻き考(2)

 私の家は道路から南側へ下がった傾斜地に建っている。道路の高さに土を盛って建てたので庭の南端は高さ3Mくらいの擁壁に支えられている。その擁壁の下は荒れ地で当然地主さんはいるのだろうが長年放置状態になっている。掻いた雪の排雪は擁壁の上からその荒れ地に捨て落としている。捨て落とす排雪は楽で、これで雪掻きを楽しんで出来ると思っている。他人の土地だから悪いことだろうが、春になれば解けるということで25年も続けてきている。この頃は雪が多い。この排雪が壁の上端まで届き、壁を背に半円錐状の山になる。そこに近所の佐藤四兄弟が遊びに来てくれるのもうれしい。
 私の町内では「身体を壊してまで雪掻きはしないようにしましょう」ということにしている。幸い函館は埋もれてしまうほどの雪は降らないし、万が一降ったときには市の除雪車を要請しましょうということにもしている。そういう思いで町内を見ると、雪掻きをしない家かと思っていても玄関前はきれいにしているし、郵便受けの所の雪が除けられている。考えてみれば、雪国に住む人間にとって雪掻きは誰かと繋がっていたいという願いに根ざしているのかもしれない。
 そうである。私もいつまでもいいふりして人の家まで雪掻きしていられなくなる。そのうち、たった雪掻き一本分の巾の雪掻き道が、雪に埋もれた我が家からこの共用道路にアンテナのように伸びているだけの家になるかもしれない。