春の月

 札幌の帰り長万部を過ぎた車窓に大きな月が出た。時間からするともう満月を過ぎた十七、八日の月だろうか。噴火湾の向こう太平洋の中空に浮いている。暖かい一日だったので大気も湿っているのかピントが合っていないようなやわらかい感じがする月である。少し赤みを帯びていて光に鋭さがない。
 太平洋上の満月、一年前テレビの画面で無惨な津波禍の瓦礫のシルエットの向こうに見た記憶がある。そのときの月は無表情に見えた。人間の営みなどに頓着しない宇宙の摂理の貌をしていた。誰もが自然の前に人間の無力さを感じていたときに、それが当然だと言う貌をしていたことを思い出す。
 そのときの月に比べて車窓から見える一年過ぎた今日の月に春を感じるのは単なる感傷かもしれない。月が変わる訳がないとすれば見る方の変化だろうか。
 それが薄れるということの変化の始まりだとしたら自分が悲しい。
   浮いているといふ危ふさの春の月   未曉