土偶展

 北の土偶展を見てきた。函館博物館で中空土偶は函館の博物館で見ていたが、今回はその歴史的な位置を他の土偶と比較理解しようとする企画なので楽しみにしていた。
 新札幌駅の市バス乗り場は長い列が出来ていた。どうやらみんな土偶展への人らしい。私の後ろに並んだ若いカップルが「今日はなんかあるの」という話をしていた。私もこんなに人が集まることを予想していなかったのでちょっとびっくりした。そして、会場の開拓記念館では入場1時間待ち、やっと入っても肝心の国宝土偶の前は人が動かず肩越しに見るしかないほどの盛況だった。
 何百年という時代の違い、地理状況や気候などの地域性の違い、文化交流のあり方の違いなど考古学的には比較研究されるのは当然だが、共通する祈り、創造性、技術…、土偶に込められた縄文人の精神性の高さは並べてみることによってより際だって見えてきた。縄文の世へのあこがれは一層強まった。
 土偶を作った時の縄文人の願いはどうなったのだろう。5000年を経て叶えられているのだろうか。それともあきらめられてしまったのだろう。
   胸腔は春空ならん中空土偶   未曉
 高校時代、休みというと函館近郊の遺跡発掘をしていたT君が大学卒業後ここ開拓記念館の仕事をしていたはずだ。その彼ももう退職しただろう。
 5000年生きた土偶たちを見た後そんなことを考えた。野幌の自然林に小鳥の鳴き声が聞こえる。